檜山安東氏・安東舜季の三男。母は湊安東氏・安東堯季の娘で、安東愛季・友季の同母弟にあたる。通称は小鹿九郎。妻は蠣崎季広の六女。
外祖父の安東堯季は継嗣がなかったため茂季の二兄にあたる友季を養子にしたが、その友季が天文13年(1546)に死没したため天文19年(1550)頃に堯季の継嗣となり、堯季没(天文20年:1551とも天文22年:1553ともいわれる)後に湊安東氏の名跡を継承して当主となる。
元亀元年(1570)に湊安東氏に内訌が生じ、被官の下刈右京・川尻中務らが出羽国河辺郡豊島城主・畠山重村(別称を豊島休心)と結んで謀叛を起こすと、兄・愛季が翌年にかけてこれを鎮圧したが、これをきっかけとして湊安東氏当主としての実権を兄に吸収されるとともに、茂季は豊島城に居所を移すこととなった。
天正7年(1579)に同城で没した。