(本願寺)実如(ほんがんじ・じつにょ) 1458〜1525

浄土真宗本願寺第9世法主。第8世・蓮如の五男。長禄2年(1458)8月10に生まれる。幼名は光養。諱は光兼。教恩院・法印・権大僧都。
応仁元年(1467)に後継者に指名され、延徳元年(1489)に父・蓮如の隠退を受けて本願寺住職となった。
永正3年(1506)、北陸地方などにおいて門徒の一揆が起こり、実如自身も細川氏を支援して、細川氏と不仲の河内国誉田城の畠山氏への攻撃を指示した。しかしこれが近畿地方の門徒の不評を招いたため、これ以後は大名間同士の争いへの介入を避けるようになった。後年、門徒に発した諭告においても『一揆を起こさぬよう』呼びかけている。
永正8年(1511)、山科本願寺開創以来の盛儀と賞賛された親鸞250年遠忌を執り行った。
また、初めて直接参内を許されて法印・権大僧都に任ぜられた。実如以前は延暦寺を経由しており、それだけ本願寺の寺格が上がったということである。その名声は明国にまで届き、明国杭州(現在の中国浙江省)の画人より墨竹の画と讃を贈られたという。
真宗本願寺派は蓮如の代に勃興したが、実如は、本願寺一族のうち嫡男を一門衆、二男以下を一家衆との家格を定める『一門一家』の制度を設けるなど、大きく広がった本願寺勢力の維持強化に努めた。
大永元年(1521)、後柏原天皇から准門跡の格を与えられた。
大永5年(1525)2月2日、山科本願寺にて死去した。68歳。その葬儀には、諸国より数十万人が参列したと伝わる。