菱餅

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俳句


菱餅が チョコに変はりて 風軽き

菱餅の ついでに送る のし袋

菱餅や 紅き毛氈 華舞台

菱餅や 故郷から届く 定期便

菱餅を 供へて祈る 孫娘


菱餅や 嫁ぐ娘の 幸願ふ

菱餅の 三色に込めし 母の愛

菱餅や 染粉に紅き 母の爪

菱餅や 爪の中まで 紅く染め

型紙を 添へて菱餅 母の切る

 

季語について

【菱餅】(ひしもち)◆三月

雛壇に供える餅。
紅、白、緑の三枚の餅を菱形に切り重ねて菱台に盛り飾る。

 

<菱餅のいわれ@>

 3月3日の桃の節句に欠かせない和菓子といえば菱餅。緑、赤、白の三色に彩られた清らかなお菓子にはどんないわれがあるのでしょうか?

その昔、インドで大きな川に橋をかける工事が行われていましたが、度重なる洪水で工事は遅々として進まず、皆頭を抱えていました。そこへ天狗が現われて、それは川底に住む竜の怒りであり、その怒りを静めるためにかわいい女の子を捧げるようにと伝えました。

ある年のこと。いつものように荒れた川を静めるためにやってきた天狗は一人のかわいい女の子を見つけます。けれどもその子は、すでに7人の娘を竜に捧げたある農夫の末娘でした。どうかこの娘だけは助けてほしいと懇願する農夫は、代わりに菱の実をさしだしました。菱の実は子供と同じ味がするといわれていた食べ物でした。子を守ろうとする親の思いに心を動かされた天狗は、これなら竜も満足するだろうとその菱の実を持ち帰ったのです。その後は川も静かな流れに戻り、人々は以後菱の実を竜に捧げるようになったといいます。

菱餅を雛飾りに供える風習は、このインド仏典の説話にならったもので、緑・赤・白の3色は、健康・魔除け・清浄を表わすといわれますが、古くは赤は竜に捧げられた犠牲者が流した血を象徴していたのだそうです。子供の命を救ってくれた菱の実に感謝すると共に、犠牲となった女の子の霊をなぐさめるものだったのです。華やかな雛飾りに込められた昔からの人々の思い。そこには無事に成長してほしいという愛娘への切なる願いが込められていたのです。

<菱餅のいわれA>

 菱餅の色が緑・白・桃の三色であるいわれ。 菱餅の緑が健康や長寿、白が清浄、ピンク(紅)が魔除けを表しているという説。

<菱餅のいわれB>

 草餅の上におめでたい意味で紅白の餅を重ねたという説。

<菱餅のいわれC>

 緑が大地、白が雪、ピンクが桃の花を表しているという説もあります。春近い季節、残雪の下には緑の草が息づき始め、ふと見上げると桃の花が咲いている……そんな桃の節句の季節の様子を表現していると思われます。

<菱餅のいわれD>

 ひな祭りに人形を飾り、菱餅、白酒、桃の花を供えるなどの風習が行事として定着したのは、江戸時代と言われています。

 飾りに使う餅は、最初は現在のような菱形ではなく、普通の草餅でした。草餅の草は母子の健全を祈って母子草(ゴギョウ)が、後にはよもぎが使われるようになりました。母子草もよもぎも薬草であり、邪気を祓い疫病を除くと信じられていたからです。

 やがて江戸後期になると、草餅をのして菱形に切ったものを供えるようになりました。これは“昔、中国に菱の実だけを食べて長生きした仙人がいた”という伝説や、インド仏典の“竜に女の子どもをいけにえとして捧げる代わりに、子どもと同じ味がするという菱の実を差し出してその怒りを鎮めた”という説話に因ると言われています。つまり、長寿を願い子どもを守るという意味で、菱の葉の形に似せて切った餅を供えるようになった、という訳です。

 

俳句にまつわる話

俳句<菱餅>の説明

 菱餅が チョコに変わりて 風軽し

 チョコとはバレンタインチョコです。スーパーでもコンビニでもその専用のコーナーをつくってチョコを販売しています。

 2/14が過ぎれば、そのチョコに変わって菱餅やお雛様に関連するものが飾られるわけです。冬から春へのバトンタッチ。風も心なしか軽く感じ、気持ちもそれに応じて軽くなる気がします。

 この句を80近い先生は、チョコでできた菱餅があるの?と私に聞きました(笑)。

 

 菱餅の ついでに送る のし袋

 田舎のおじいちゃん、おばあちゃんは都会に住む孫娘のために、菱餅をつくり、重箱に詰めて送ります。その中には菱餅だけでなく、娘や孫の好物である母の味を詰め込み、さらにそっとのし袋に、節句のお祝いを入れて送ります。ほんとうはのし袋が主なのに、菱餅のついでに送るのが味わい深いものです。

 

 菱餅の 三色(みいろ)に込めし 母の愛

 菱餅は下から、緑、白、桃ですが緑が健康や長寿、白が清浄、桃が魔よけを表しています。そんな思いを込めて、母は手作りの菱餅を作ります。

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