滴り
俳句 |
|
滴りや 古道に妻の 見え隠れ 挨拶の 行交ふ古道 滴りぬ 滴りや 前掛新た 地蔵堂 滴りや 神へと続く 石畳 地蔵堂 振向く古道 滴りぬ |
滴りや 終車の早き 上高地 滴りや 両手器に 飲み干しぬ 滴りの 古道を休み 休みかな 滴りの 緑映して 川下り 滴りの 中を船頭 漕ぎにけり |
季語について |
俳句にまつわる話 |
滴りと聞くと、「軒先に雨が滴る」とか、 「木の葉が雨に滴る」、「汗が滴る」とか、 私のように「水も滴るいい男」(^_-)などを思いだしますが、 俳句の季語となっている、「滴り」は違います。 季語の滴りは、山の崖や岩膚の裂け目から滴滴とこぼれ落ちたり あるいは蘚苔類をつたって落ちる清冽な点滴のことで、涼感を誘います。 この滴りという季語は、私にとってむつかしい季語で、 イメージを描き、膨らませにくい季語でした。 実際は山にでも登り、滴りを実感すれば良いのですが、 なかなか時間が取れないので、 いつものように、昔の体験を思いだして句を作りました。 それは、<熊野古道>であり、<上高地>であり、 <赤目四十八滝>です。 それぞれ行った季節は、滴りの季語の季節である 初夏(俳句では5月から7月までが夏)ではありませんでしたが、 そこは妄想の朔太郎ですから、季節を適当に変えて作りました(^^;)。 そこで一句。(古道とは熊野古道のことです) 滴りや古道に妻の見え隠れ 妻と行く熊野古道や滴りぬ 日頃の運動不足も手伝って 下りの石畳を慎重に休み休み歩いていた私に比べ 妻は、さっさと早足で歩いて行きます。 それに遅れないように、でも無理をせずに歩いていました。 滴りの古道に神を感じけり 滴りや神へと続く石畳 あの日は人が多くて、されに雨で濡れて滑りやすかったので、 感慨にふけっているゆとりはなかったですが、 だんだんと人の列が長くなり、ふとした時に一人になると そこには、すがすがしい凛とした空間があり、 神を身近に感じ、一緒に歩いているような錯覚を憶えました。 前掛けも新たに古道滴りぬ 地蔵堂振向く古道滴りぬ 馬越(まごせ)峠コースに夜泣き地蔵堂があり、 そこからふり返る熊野古道は情緒があって一番良かったです。 滴りや馬越峠のにぎりめし そしてなにより、 頑張って登った峠での、にぎりめしに勝るものはありません(*^_^*)。 滴りや終車の早き上高地 明神へ歩めば妻も滴りぬ 上高地には4年ばかり前の夏に行きました。 すばらしい自然と涼しさで、珍しくもう一度行ってみたい場所です。 河童橋から明神池まで、往復3時間歩きました。 疲れて足が痛かったですが、途中の景色の素晴らしさに頑張ることができました。 ただ、バスターミナルへ帰ってきたのが6時頃で まだバスはあるだろうと思っていたら、 終車が5時で、仕方なしにタクシーで平湯温泉まで帰りました。 タクシー代6000円と高いものにつきましたが、 一生忘れられない思い出となりました(*^_^*)。 |