さくらんぼ

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俳句


さくらんぼ 叶わぬ恋の 二つ三つ

人間に 墜ちる快感 桜桃忌

好きになる 人は母似や さくらんぼ

よく笑ふ 叔母の古里 さくらんぼ

山寺の 土産静けさ さくらんぼ
 

さくらんぼ 飯盛山の 自刃跡

介護士の 描く母の絵 さくらんぼ

添ひ寝する 母の寝顔や さくらんぼ

子に戻る 母の笑顔や さくらんぼ

素麺の 白き海原 さくらんぼ

 

季語について

 

 

俳句にまつわる話

 
  一重の桜はどの種類も小さいながら実を結ぶそうで、
桜の実(さくらのみ)と言います。
しかし一般に「さくらんぼ」といえば西洋種のチェリーや
桜桃(おうとう)のことで、実を食用とするために栽培されます。

 さくらんぼはすがすがしい夏の味覚として好まれ、
山形、青森、福島などの名産です。

 皆さんの<さくらんぼ>に対するイメージは何でしょうか?
私は、ソーダの海を泳いでいるさくらんぼです(*^_^*)。

 よく聞いていたユーミンの<海を見ていた午後>の一節
♪ソーダ水の中を 貨物船が通る‥‥
これで決まりです。
そこから、さくらんぼからは
恋、それも初恋とか、憧れの片恋とかのような
叶わない恋が連想されます。

 そこで一句。
 さくらんぼ叶わぬ恋の二つ三つ

 息子にとって
<母は恋人であり、父は恋敵である。>
そんなことも言われています(^o^)。

 私は自分が頑張ったことで、
母が喜んでくれることが一番嬉しく、
そのために頑張ってきたような気もします。

 振り返って見ると、
自分が好きになってきた女性はどこか母に似ている。
全てではなくても、どこか一カ所とか、雰囲気が似ていた気がします。

 そこで一句。
 好きになる人は母似やさくらんぼ

 太宰治の作品の中に「桜桃」という自伝的短編小説があります。
それを題材に、昨年の10月、生誕100年の記念の映画として
松たか子主演のヴィヨンの妻〜桜桃とタンポポ〜がありました。

 そんなこともあって、太宰治が
玉川上水で心中をした忌日(6/19)を
桜桃忌といい、俳句の季語となっています。

 私は太宰は走れメロス以外は、
斜陽を読んだだけです。
また、読んだのが高校生の頃でもあり、
内容はよくわからない所も多かったけど、
<人間の堕落(落ちていく時)も一つの快感>であることを感じ、
この小説から強いインパクトは受けました。

 極論を言えば、人生の楽しいことの大半は、悪いことの中にあります。
人は善のみでは生きられず、真面目だけの人生ではなく、
たまにはそんな悪の世界も踏み込んで、バランスをとることも必要です。
まさに、落ちて行くこともまた楽しからずやです(>_<)。

そこで一句。
 人間に墜ちる快感桜桃忌

 絵画的な色の鮮やかさ
真っ白い素麺の中に赤いさくらんぼが浮かんでいる。
この白と赤のコントラストが涼しさを感じさせてくれます。

そこで一句。
 素麺の白き海原さくらんぼ
 

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