草紅葉
俳句 |
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ご飯だと 母の呼ぶ声 草紅葉 ごん狐 ごんの悲しみ 草紅葉 廃窯の 語る盛衰 草紅葉 由布岳に 淡き昼月 草紅葉 客待ちの 車夫の訛りや 草紅葉 |
神の山 機嫌待つ間の 草紅葉 比叡山 燃やすが如き 草紅葉 草紅葉 九番ライトの デビュー戦 吊り橋に 望む噴煙 草紅葉 すれ違ふ 僧の心経 草紅葉 |
季語について |
俳句にまつわる話 |
10月16日(土)の栄句会の季語は<草紅葉>でした。 草紅葉とは、木の紅葉に対して、 秋草の色づいたものを言います。 これは俳句独特の言葉で美しい日本語です。 草紅葉のことを<草の錦>という言い方もありますが、 路辺に咲く名もない草を錦と表現する 日本人の感性が素敵だと思います。 私の少年の頃は野球少年でした。 野球と言っても、今から半世紀も前の話ですから、 野球(それも軟式)は中学校まではできず、 ソフトボールでしたが……。 学校から帰るとランドセルを投げて 一目散に近くの野原へ行き、そこで日が暮れるまで 友達と野球をやって遊んでいました。 ご飯だと 母の呼ぶ声 草紅葉 日が暮れてもなかなか帰ってこない息子のために 母がしびれを切らして呼びに来ます。 ご飯も食べたいけど、もっと野球がしたい そんなわけで、後ろ髪を引かれるような思いで帰りました。 昭和30年代は貧しかったです。 でも、どこの家も貧しかったので気になりませんでした。 炊きたての温かいご飯とおみそ汁、 お新香に母の手作りのおかずが一品、 決して贅沢ではなかったけど、おいしかったです。 そして今は、そんな昔の食事が一番だと思う年になりました(^_^;)。 野球(ソフト)は近所の子供の寄せ集めですから、 人数も年齢はバラバラでしたが、 三角ベースの野球などで臨機応変に対応していました。 だいたい大きな子がピッチャーをやったり、内野を守ります。 草野球のデビューとなる、小学校の2、3年生は背も小さく、 体力も技術もないので、 決まって球のこないライト、そして9番が定番でした(*^_^*)。 でも、一緒に野球ができることが楽しくて仕方がありませんでした。 草紅葉 九番ライトの デビュー戦 よく、若い頃に帰りたい?と聞かれますが、 私は帰りたくないと答えます。 それは、今が一番良いからです。 確かに体力は衰え、頭も薄くなって、ぼけも始まっていますが、 それでも、帰りたくありません。 自分の人生を振り返って、よくあれほど いろいろなことを乗り越えてきたと思います。 (といってもたいしたことではないのですが‥‥(^_^;)) それはほとんど運が良かっただけで、 もう一度同じことがあった時 今度は運良く乗り越えることができるかどうか自信がありません。 そして、そんな苦労をするのはまっぴらです(*^_^*)。 だから、若い頃には帰りたくありません。 |