サングラス

    俳句の目次へ 

 

俳句


仁王には 小さき草鞋や 秋の末

行秋や 湖東三山 大草鞋

野地蔵に 手編みの帽子 秋の末

筆に書く 古今の名句 秋行きぬ

職退けば 時は光陰 秋の果て

 

薪売る 山の土産屋 秋の末

行秋や 航路を分かつ 浮き灯台

句を捨てし 後の未練や 残る秋

物忘れ 競ふ夫婦や 秋の果て

行秋や 山車に見栄切る 三番叟

 

季語について

 

 

俳句にまつわる話

 
11月5日(土)の栄句会の季語は
<【行秋】(ゆくあき)>でした。

 <行秋>とは、秋が過ぎ去る頃のことですが、
「行く」という言葉を使って、
巡り行く季節を旅人になぞらえています。

 これは春と秋だけのことです。
(例えば<行く春>のように)
それは、春や秋が惜しむべき季節であるからです。

 <帰る秋 残る秋 秋の末 秋の果て
秋行く 秋の終わり>も、<行秋>と同じものです。

 仁王門にいる仁王像は裸足で、
冬になればさぞ寒かろうと思います。
そのため、この季節になると、
たくさんの草鞋(わらじ)が供えられています。

 どれも仁王像には小さすぎるものですが、
その気持ちだけは十分伝わってきます。

 信心深い人の手作りかもしれません。
私にはそのような信心はないのですが、
その気持ちは大切だと思います。
そのため、その草鞋を見る度に温かい気持ちと
これから来る厳しい冬を思います。

 
 仁王には 小さき草鞋や 秋の末
 行秋や 湖東三山 大草鞋

 名鉄ハイキングで知立のお寺(遍照院)に行って来ました。
三河三弘法と言われるお寺だけあって、
大きく立派なお寺でした。
境内の隅に、わずかな冬桜がひっそりと咲いていたのが、
印象的でした。
そこにたくさんあったお地蔵さんの頭に
手編みの赤い帽子がかぶせてありました。
こちらも信心深い人の心遣いからでしょうが、
その気持ちが温かいですね。

 野地蔵に 手編みの帽子 秋の末

 秋の日はつるべおとしと言いますが、
年を重ねるに従って、加速度的に時が早く過ぎていくように感じます。
特に、退職をしてからの時の流れはほんとうに早いもので
まさに「光陰矢のごとし」です(*^_^*)。

 何も苦労がなく幸せだからそう感じるのだと
自分の幸せを確認しています。

 そして早く過ぎる時だからこそが、
大切に使い、自分のこれから先に役立つことに
使いたいと思うこの頃です。

 職退けば 時は光陰 秋の果て

********
 <行秋>には、一抹の寂しさがあります。
それを表現するのが良い句だと思います。
残念ながら私の句ではないのですが、
句会の中で、<行秋>の季語にぴったしの句がありましたので、
紹介します。 

 行秋や 骨董市の 古時計
 行秋や 竹人形の 細き腰
 

上に戻る