下萌
俳句 |
|
試歩までの 長き道のり 下萌ゆる 白壁の 続く寺路地 下萌ゆる 裏門へ 抜けし畦道 下萌ゆる 天平を 偲ぶ礎石や 下萌ゆる 薔薇窓の 色柔らかに 下萌ゆる |
窯路地に 朽ちし土器 下萌ゆる 病室に 季節移ろひ 下萌ゆる 下萌や 煉瓦倉庫に 機銃痕 下萌や 母の手借りて 逆上がり 鬼ごっこ 逃げる路地裏 下萌ゆる |
季語について |
俳句にまつわる話 |
2月16日(土)の栄句会の季語は<下萌(したもえ)>でした。 下萌とは、早春の頃、去年の枯れ草や残雪の中から 草がわずかに顔を出すことです。 なお、下萌の「下」は「枯草の下」の意で、 下萌には春の訪れと厳しい冬を耐えた生命力が感じられます。 試歩までの 長き道のり 下萌ゆる 病室に 季節移ろひ 下萌ゆる 試歩とは、回復期の病人などが、 足ならしのために歩く練習をすることです。 私は40代の中頃に第5腰椎分離症を発症し、 その手術のために、3ヶ月ばかり入院したことがあります。 手術の前に、この手術は危険の伴うもので、 失敗すると車椅子生活になるかもしれないと医者から脅かされました(^_^;)。 幸い手術は6時間にも及びましたが成功して、 今は完全に回復をし、普通の生活が送れています。 でも、長く歩けるようになるには、 退院してから1ヶ月くらいの、試歩の期間が必要でした。 初めは家の周りを歩いては休み、歩いては休みして、 だんだんと距離と時間を伸ばしていきました。 思うように進まないことに焦りもありましたが、 試歩までの長くて辛い期間を思うと、 ここまでこれたという感慨が深かったです。 その時強く思ったことは、 「世の中には多くの人が腰を病み、 その痛みをこらえて生活をしている。 だから、普通に歩けることがどれ程幸せなことか」と……。 休職をして病院に3ヶ月も入っていると、 世の中に取り残されるようで、だんだんと不安になっていきます。 でもその思いとは関係なく、季節だけは確実に変わっていき、 病院の堅いベットに腰掛けて、 外の景色を何となく見つめていたことを思いだします。 下萌や 母の手借りて 逆上がり 今はだめですが、中学生の頃までは運動神経の良い子でした(*^_^*)。 特に野球と走るのが得意でしたが、 鉄棒は大の苦手でした(^_^;)。 体育の授業でのバッチテストも、 他の種目は合格するのに、 鉄棒だけが不合格で、いつも悔しい思いをしていました。 そんなわけで、明日は体育の授業で鉄棒があると分かっていると、 なぜか朝、頭が痛くなって休んでいました(^_^;)。 でも小学校の高学年頃からは、それではいけないと、 苦手な鉄棒を何とか克服しようと、 放課後の校庭で鉄棒の練習に励んでいたことを思いだします。 薔薇窓の 色柔らかに 下萌ゆる 薔薇窓とは、ゴシック建築(代表は教会)において、 ステンドグラスで作られた円形の窓のことです。 明治村の教会を思いだします。 荘厳で高い天井の礼拝堂、そこに薔薇窓の光りが注ぎ、 人を柔らかく包み、病んだ心を癒してくれます。 キリスト教徒ではないけど、神を信じたくさせる雰囲気を作りだします。 そして、薔薇窓の柔らかな光りは、春の訪れを感じさせてくれます。 天平を 偲ぶ礎石や 下萌ゆる 天平時代は710~784年までの奈良時代をいいます。 その時代は、「青丹によし 奈良の都は咲く花の 薫うがごとく いま盛りなり 」と詠まれ、 東大寺や薬師寺などの大寺の建立がなされました。 礎石(そせき)とは、建造物の土台となって、 柱などを支える石のことです。 礎石を用いないと柱が直接地面と接するので、 湿気や食害などで腐食や老朽化が早く進みます。 礎石は近代以前の建物に使われ、 地震や火災の後でも礎石だけは残り、 その時代を知る貴重な資料となっています。 礎石からそこに立っていた伽藍を想像し、 その時代の栄華を偲びます。 下萌の中の礎石に春を感じます。 と同時に一抹の寂しさと、つながりを感じます。 あの時代の人も、下萌の中に春を感じていたのでしょうか? |