人日
俳句 |
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人日の 街は日々へと 戻りけり 計立たぬ ままに人日 なりにけり 人日の 芋粥に父 偲びけり 人日の 今日を限りの 雑煮かな 人日に 久闊の友 訪ねけり |
人日の 芋粥濃きは 父の味 人日の 神も普段に 戻りけり 人日の 献花の列の 海を行く 人日の 神籤の意味を 諭す母 人日の 神馬目指すは 天の果て |
季語について |
俳句にまつわる話 |
1月19日(土)の栄句会の季語は<人日(じんじつ)>でした。 人日とは、1月7日のことで、 中国の故事に由来する言葉です。 曰く、元旦を鶏日、二日を狗日、三日を猪日、 四日を羊日、五日を牛日、六日を馬日とし、 七日は人を占い、人を尊ぶ日と定められた。 元旦から六日まで、天候によりその年の禽獣や 農作物が豊かかどうかを占い、七日は人の世界の運勢を占いました。 また、宮中ではこの日に、邪気を払うという目的で 七草粥を食べて祈りました。 私は<人日>という言葉を初めて聞きました。 おそらく俳句をやっていなければ、 一生知らないで終わった言葉かもしれません。 人日で俳句を作らなければならなかったので、 人日の意味から、それと関わりのあることをイメージして句を作りました。 例えば、人を占うことから、御神籤を、 七草粥から父の作ってくれた芋粥を、 1月7日から、正月気分の終わりを連想しました。 人日の 芋粥に父 偲びけり 人日の 芋粥濃きは 父の味 私の父親は職人で、無口な頑固者でしたが、 料理が得意(いろいろな職業を転々としたことからかな?)で、 自分の好みのものを、時々作ってくれました。 結構味や作り方にこだわりがあり、芋粥もその一つでした。 サツマイモをサイコロ状に切り、 粥に入れて、味は塩味だけのものでしたが、 今でもその濃き味を舌が覚えています。 父が死んでからは食べることができませんが、 私は粥というと、この父の芋粥を思いだし、 合わせて父の顔が浮かべます。 人日の 街は日々へと 戻りけり 人日の 神も普段に 戻りけり お正月気分は年々なくなります。 それは私が年を取っただけではなく、 世の中全体がそういう風潮です。 三が日ですらそうですから、 人日の頃となると、全く正月気分がなくなり、 街も人も日常に戻ります。 神とてもそれは例外ではありません(*^_^*)。 計立たぬ ままに人日 なりにけり 「一年の計は元旦にあり」と言いますが、 残念ながら、この年となると立てる計がありません(^_^;)。 立てようとも思わないのは、 年と共に自分の限界が分かってきたためなのか、 それとも向上心がなくなったためなのでしょうか? そこで、漠然と「健康で楽しい一年を」とか 「俳句とか書が上達しますように」とか、 そんなことくらいしか思い浮かびません(^_^;)。 |