鵙(もず)
俳句 |
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鵙の里 岐路に標の 丸ポスト 心地よき 一日の疲れ 鵙日和 吾子のごと 育む棚田 鵙日和 鵙晴れや 五輪射止めし おもてなし 茅葺の 千木誇らしく 鵙の秋 |
茅葺も 鵙も茜に 染まりけり 里山の 抱く茅葺 鵙の秋 山寺に 異国語溢る 鵙日和 絶景に 停まる単線 鵙の秋 鵙鳴きて 大和心の 届きけり |
季語について |
俳句にまつわる話 |
9月21日(土)の栄句会の季語は<鵙(もず)>でした。 もずは、漢字では鵙や百舌鳥と書きます。秋の季語で、 木のてっぺんなどでキーイッ、キーイッと鋭い声で鳴きます。 私はモズと聞くと、童謡「小さい秋みつけた」を思います。 ♪だれかさんが だれかさんが だれかさんが みつけた ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた めかくし鬼さん 手のなる方へ すましたお耳に かすかにしみた よんでる口ぶえ もずの声 ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた 鵙の里 岐路に標の 丸ポスト バスツアーで、京都美山町(丹波地方)の<かやぶきの里北村> に行ってきました。 この里は、50戸ほどの山村で、その内38戸が茅葺の家で、 里山に抱かれるように立っています。 その里のメインになる道の岐路に、 赤い丸ポストがまるで道標(みちしるべ)のような立っていました。 のどかな、そしてどこか懐かしい景だと 思って句に詠みました。 赤い丸ポストはだんだん数が少なくなっていますが、 私などには、なんとも味わい深く、郷愁を誘います。 亡き父の実家が農家で、茅葺きの家でした。 時々泊まりに行きましたが、 その時に世話をしてくれたのは祖母で、 その姿を懐かしく思い出します。 祖母は、若くして夫を亡くし、女手一つで、4男2女を育てました。 ごつごつした男勝りの手や、 深い眉間の皺がその苦労を物語っています。 心地よき 一日(ひとひ)の疲れ 鵙日和 現在私は63歳、退職して再任用の3年目です。 現職の時は、早く退職して楽になりたいと思っていましたが、 今は、できるだけ仕事はして行きたいと思っています。 再任用は5年で終わるので、その後が心配ですが、 少しの時間でも良いから、70歳位までは働きたいと思っています。 でも、こればかりは傭う側の都合が大きいですから、 運を天に任せるしかないですね。 私にとって、仕事を終えた時、心地よき疲れを感じるのは、 明日につながる仕事ができた時です。 忙しい一日が無事に終わり、心地よき疲れが全身を包む、 そんな、穏やかな秋の日暮れは至福の時です。 吾子のごと 育む棚田 鵙日和 棚田は美しいもので、 日本の原風景のように言われます。 でも、私はそこまで田を作らなければならなかった 昔の農村の貧しさも同時に感じます。 山の傾斜にそって田を作っていく苦労、 そこには、飢饉とか身売りとか、 百姓一揆の暗い過去があったのだと思います。 鵙晴れや 五輪射止めし おもてなし 鵙鳴きて 大和心の 届きけり オリンピックが東京に決まった時は感動しました。 直前にスペインに招致が決まったかのような報道があったり、 福島の汚染水が大きな障壁となっていると聞いて あきらめていたからです。 勝因は、前回の反省を踏まえ、 苦手なプレゼンやロビー活動を克服し、 オールジャッパンの総力戦で戦ったことです。 まあ、勝つ時はこういうもので、すべてがうまくいきます。 でも、負けていたら、それはそれでさんざん言わていたわけで、 オリンピックの招致レースは、2位では意味がありませんからね。 ロビー活動は事前に報道をされないので、 どのくらい頑張ったかはわかりませんでしが、 プレゼンはすばらしいできだったと思います。 特に佐藤真海さんが良かったと思います。 スポーツマンであった真海さんは、骨肉腫によって障害者となりますが、 それを乗り越えて再度スポーツをすることができるようになりました。 でも、それを打ち砕くように東日本大震災が襲いますが、 それも力強く乗り越え、 その実体験を自分の言葉で語ったことに、感動をしました。 そして、滝クリの<おもてなし>のプレゼン、 <おもてなし>は日本のこころです。 人に喜んでもらうには相手の気持ちになること、 自分を殺して、人のために尽くす、滅私の心です。 このおもてなしの心に、日本を訪れた外国人は感動し、 もう一度日本に来たいと思わせています。 まさに、<おもてなし>は世界に誇れる日本の心です。 |