末枯れ(うらがれ)

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俳句

末枯の 市に媼の 笑ひ声

末枯て ロシア文学 読み始む

末枯の 比叡にひそと 丸ポスト

末枯や 一分の矜持 持ちて生く

末枯の 寺に法灯 守る僧
 
坂上の 陶の無住寺 末枯ぬ

土管にて 栄えし街の 末枯ぬ

無住寺に 望む陶街 末枯ぬ

末枯て 死に場所求む 獣かな

老ひどちの 忘れ自慢や 末枯ぬ
 

 

季語について

 

 

俳句にまつわる話


 末枯とは、木々の枝先や葉の先の方から枯れることで、
「末」とは、「先端」の意味です。
この言葉から、秋から冬へと季節が変わりつつあることが感じられ、
それは季節ばかりでなく、人間の老いも通じる、
ちょっと寂しい季語です。

 末枯や 一分の矜持 持ちて生く

矜持(きょうじ)とは、自信や誇りを持って,堂々と振る舞うことで、
プライドのことです。
また、一分(いちぶ)とは、一寸の10分の1で、
ごくわずかなことのたとえに使われます。

 私は若い時は短気で、ちょっとしたことに腹を立てたり、
人を恨んだりしていましたが、年を重ねるごとに、
丸くなり、人間関係を良くするためなら
許せないことや譲れないものがなくなり、
いい加減にすることができるようになりました。

 でも、自分の信念として、どうしても譲れないものや、
いい加減にしないことも残して生きて行きたいと思います。
なぜなら、そのプライドこそ、自分自身であるからです。

 坂上の 陶の無住寺 末枯ぬ

 常滑にある<やきもの散歩道>に土管坂という名前の坂があります。
常滑は焼きものの街で、今は寂れていますが、
一時は土管で栄えた町でもあります。

 土管坂は街の象徴でもあった土管を壁に埋めた坂道で、
坂を登り切った所に、光明寺という無住寺があり、
その末枯た景を詠んだものです。

 末枯て 死に場所求む 獣かな

 我が家の飼い犬「ウーロン」が一月前、
鎖を切って逃げてしまいました。(鎖が老朽化のために切れた)
15歳になる老犬で、目も耳も悪く、体力もないのに
どうして今になって逃げてしまったのか?理由がよく分かりません。
人からは「犬は死に場所を求めて、人に分からない所へ行く」
という話を聞きました。
今はそれで納得しています。

 ウーロンは飼い犬ですが、動物があまり好きでない私は、
家内が留守の時に時々散歩に連れて行くくらいでした。

 ほとんど世話をしていなかったけど、
それでも、いざいなくなると気になるもので、
今でも家に帰ると、最初に犬小屋をのぞいて
犬が帰っていないかを確かめてしまっています。

 老いどちの 忘れ自慢や 末枯ぬ

 <どち>とは友達とか仲間という意味です。
同世代の老人が集まり、酒でも呑むと、
病自慢をしたり忘れ自慢をしたりして盛り上がります。

 

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