俳句の目次へ 

 

俳句

炉の芋煮 注ぎたる祖母の 指太し

四角き炉 丸く寄合 使ひけり

炉にカカザ ありてこの家に 五十年

みちのくの 地震(ない)の語り部 炉の明り

民宿の 囲炉裏に集ふ 夕餉かな
 
蚕飼ふ 白川郷の 大炉かな

炉話の 恐さ募るや 外廁

炉煙の 大梁黒く 育てけり

豪雪の 村に結あり 炉の明り

長老を 待ちて囲炉裏に 結の会
 

 

季語について

 

 

俳句にまつわる話

 
 炉話の 怖さ募るや 外廁(かわや)

 囲炉裏と聞くと、父の実家の草葺き屋根の家を思い出します。
50数年も前の話ですが、農家で、廁(便所)が外にありました。
寝る前に行く時も怖かったのですが、
夜中に行きたくなると、怖さは尋常ではないので、
なんとか我慢しようとしますが、どうしても我慢できずに
行くことになると、お化けがでて来そうで、用を足していても、
気が気ではなかったことを覚えています。

 昔のトイレはくみ取り式が普通で、
今の水洗やウオシュレットなどを思うと、
臭くて、寒くて、怖くてたまりませんでした。
子供の頃のそんな体験からトイレについては
こだわりがあり、家のトイレが水洗式になった時には、
本当に安心し、幸せに感じました。

 蚕飼ふ 白川郷の 大炉かな
 炉にカカザ ありてこの家に 五十年

 飛騨白川郷の合掌村に行ったことがあります。
合掌造りの大屋根には、いろいろな意味があります。
一つは屋根勾配を急にして
雪が自然に落ちて、雪かきをしなくてすむようにしてあります。

 もう一つは、急勾配の大屋根にすることで、
屋根裏に中二階、中三階ができ、
そこで蚕を飼っていました。
の地域で蚕を飼っていたのは、
米が取れず、それに変わる産業が必要だったためでした。
まさに、その土地の自然が、その土地の生活を作り、
家屋の形までを作っているわけですね。

 長老を 待ちて囲炉裏に 結の会

 飛騨白川郷には、助け合いの風習や
お互い様という精神があり、
それが「結」という共同体に結びつきました。
 
 茅葺き屋根の<茅>とは<すすき>のこととは知りませんでしたが、
大量の茅を使い勾配の急な大きな屋根を作るには、
大量の人力が必要で、そこで大活躍するのが<結>です。
田舎ならではの絆で、ある意味では鬱陶しいものですが、
あまりに人間関係が希薄な今の日本では必要なものかもしれません。

 合掌造りの家の中には<いろり>があり、
座る場所が書いてありました。
<主の座>、<かかざ>と指定されていて、
カカザの他に<嫁の座>があるので、
カカザがこの家の主婦の座なんでしょう。

 嫁姑の戦い、今はあまりマスコミの話題になりませんが、
(核家族のため、逆に老老介護や老人の一人暮らしの方が問題となっています。)
決してなくなったわけではなく、
表面には出ないが、心の内部に深く進行した、
静かな戦いが繰り広げられているのでしょう。

 いつの世も、他人同士が暮らせば問題があるもので、
その解決には別居が一番です。
離れていて、時々会い、
介護が必要な時に一緒になるのが、ベストです。

 どちらも元気な時は覇権争いで対立するもの、
でも、介護が必要な年になれば、
勝負はついているので、対立は少なくなると思います。

 父の実家の嫁姑戦争は過酷で
私の祖母がすったもんだのあげく、
 長男の嫁を追い出して、
仕方なく一番下の息子夫婦が跡を継ぎました。
そんな頃の苦労話を祖母の25回忌の時に
伯母から聞きました。

 祖母は早くして後家になり、女の手一つで
5人の子供を育てたので、
勝ち気で男勝り、さらに頑固で、意地悪でした(-_-;)。
 

上に戻る