雑煮
俳句 |
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拘りの 父の雑煮や 鰹節 雑煮餅 真白き母の 割烹着 老どちの 譲らぬ雑煮 自慢かな 病院に 母逝きし日の 雑煮かな 餅菜のみ 入れる尾張の 雑煮かな |
居を構へ 三十年の 雑煮かな 新しき 母の半襟 雑煮餅 到来の イクラ数の子 雑煮膳 新妻に 古里偲ぶ 雑煮かな 雑煮餅 飽きて仕事の 始まりぬ |
季語について |
俳句にまつわる話 |
鰹節 拘る父の 雑煮かな 亡くなった父は、とても起用な人で、なんでも簡単にやってしまうので、 何もしなくて良かった私は、 間に合わないだめ息子になってしまいました(^_^;)。 書道、絵画、詩吟と多趣味で、家の大工仕事まで完璧にやり、 さらに食にも拘りがあって、 正月には自分で鰹節を削って出汁を取り、雑煮を作っていました。 小学校の自由研究はほとんど父に作ってもらいましたが、 そのあまりの完成度に、自分の作品だと言って提出するのを、 ためらった思い出があります。 教育の世界には、<反面教師>という言葉があります。 有能な担任はよく気がつくので、何でも先回りをして、 生徒をこまめに面倒を見てしまいます。 逆にちょっと危ないだめ担任の方は、この担任に任せておいたら 自分たちはどうなるかわからんと 生徒がしっかりするものです。 それと同じように親も出来すぎはだめですね(^_^;)。 その点、私は<だめ親父>だったので、 自分の子供たちは私に似ずにしっかりと育ちました。 雑煮餅 真白き母の 割烹着 新しき 母の半襟 雑煮餅 私の子供の頃(1950年代)は、 正月には、新品の下着や靴下を履き、 一張羅の晴れ着を着るという、そんな時代でした。 お正月には髪も綺麗にして迎えるのが当たり前と、 年末はどこの床屋も美容院もいっぱいになりました。 半襟(はんえり)とは、和服用の下着である襦袢に縫い付ける替え衿のことです。 名前は、その長さが実際の襟の半分程度であることからつきました。 本来の目的は襦袢を埃、皮脂や整髪料から保護するもの (汚れたらはずして洗濯し、何度も使用する)です。 1950年代はどこの家の主婦も、日常生活では半襟をつけ着物を着ていて、 家事をする時は、白い割烹着をつけていました。 決して豊かではない時代、というよりも日本中が貧しい時代で せめて正月なので新しい半襟と割烹着を着るという、 そこに新年の初々しさが感じられます。 若い頃はお正月は年が変わることで気分一新ができ 何か良いことが起こるのでは?という、 根拠のない希望で、うきうきした気分でしたが、 この年になると、そんな気分はもう二度と味わえません。 寂しいと言えば寂しいものです、お年玉ももらえませんから……((^o^) 老いどちの 譲らぬ雑煮 自慢かな 餅菜のみ 入れる尾張の 雑煮かな ネットで調べてみると、雑煮に入れる餅には、 丸餅、角餅、餡ころ餅と全国的にいろいろな餅があります。 また雑煮の具も、地方によって違ひ、 尾張(名古屋)は一番質素で、餅菜のみいれます。 それは、きっと尾張が貯金が多いなど、堅実な風土のためなのでしょう。 私の生まれた東三河(蒲郡)では、白菜と油揚げが入っていました。 (私の家だけかもしれませんが) いろいろと言っても、雑煮は自分の生まれた地方のものが一番、 さらに言えば母の味が一番です。 |