秋は、初秋、仲秋、晩秋の三つに分けられます。 秋の終わりは、寂しさがいっそう募り、
しみじみとした風情の季節です。
そして来るべき厳しい冬を迎える準備と、
そのための心構えを作る季節です。
晩秋の地野菜揃ふ朝の市
野菜は季節によって、種類が変わるものです。
その土地でとれる地野菜の変化、朝市にならぶ地野菜によって、
季節の移り変わりを感じることができます。
晩秋の木曽に時告ぐ鐘の音
JR東海のさわやかウオーキングで木曽駒に行ったことがあります。
そのとき木曽路を散策していると、
突然正午を告げる鐘の音が聞こえました。
今時鐘かよとつっこみを入れたくなりましたが、
なかなか風情があっていいものです。
それは日本の秋の原風景を彷彿とさせるものでもあります。
街に住んでいると、時計は身近なもので、
どこにいっても時計はあります。
時間を忘れ、時の過ぎゆくままに生きていくことが
現代の忙しい人間にとって
とても価値があり、贅沢なものかもしれません。
晩秋の町にレトロな名画館
ここ二三十年の間に、映画館は集合型のものが
街の映画館を席巻し、昔ながらの映画館、
例えば東映や松竹、日活などの専属映画館や、
スクリーン一つの映画館はほとんどが
つぶれ、別の業態に変わってしまいました。
少し前、名鉄ハイキングで西尾の町を歩いていたら、
小さな映画館を見つけました。
今でも映画を上映しているのか?
近くに行って見たわけではないので、
わかりませんが、ぜひそうあってほしいと思いながら
去っていきました。
小さな町の小さな映画館に
滅び行くものの哀れと、晩秋を感じます。
晩秋の宿場見下ろす木曽の関
木曽福島の関所にバスツアーで行ったことがあります。
福島関は中山道の関所、「入り鉄砲に出女」の言葉の通り、
女性が外へ出て行くには江戸時代はとても不自由でした。
どうしてもでていく必要があるときは、
女手形(村の名主などの権力者のお墨付き)が必要で、
その条件は厳しいものでした。
そんな女手形がこの関所には展示されていました。
草書文字で流れるように達筆な文字が、
却って悲しさを感じさせます。
一礼し山門潜る末の秋
末の秋は晩秋と同じ意味です。
私は信心がなく、信仰心が薄いので、
こんなことはないのですが、
中には威を正し、一礼をしてから山門を潜る人がいます。
きっとこれが正しい人の道なのでしょう。
そういえば、中学の野球部では、グランドに入る時と
出る時は一礼をし、挨拶をしていました。
最初は強制されたものですが、
その時は結構格好良く感じ、気持ちの良いものでした。
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