中秋
俳句 |
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中秋の 酢の街に見る 罪と罰 中秋の 唐招提寺 雨の中 中秋の 月へと挑む 観覧車 中秋の 木曽駒岳の 雲速き 中秋や 電子書籍の 指に読む |
見栄少し 残す余生や 秋半ば 中秋の 凡夫ニーチェと なりにけり 中秋の 南吉館を 雨包む 南吉の 恋の顛末 秋半ば 南吉に 不遇の時代 秋半ば |
季語について |
俳句にまつわる話 |
旧暦(陰暦)では、三ヶ月毎に季節が変わり、 「一・二・三月」は春、「四・五・六月」は夏、 「七・八・九月」は秋、「十・十一・十二月」は冬です。 さらにそれぞれの季節を<初・中・晩><孟・仲・季>に分けて使ったので、 「八月」は秋の真ん中であるため「中秋」または「仲秋」と呼びました。 また仲秋には、秋の真ん中という意味以外にも、 <陰暦の八月十五日>を指すこともあります。 そのため、この日の満月を<仲秋(中秋)の名月>と言い、 仲秋(中秋)だけで、この名月を指すこともあります。 このように、中秋は陰暦の八月で、陽暦では九月頃にあたります。 まだまだ残暑が厳しい時でもありますが、 朝夕は涼しくなり、しっかりと秋を感じさせてくれる頃です。 なお俳句の季語は、旧暦(陰暦)・新暦(陽暦)の月名とは関係なく、 太陽の運行によって決まるので、 立春から春、立夏から夏、立秋から秋、立冬から冬です。 (2/4〜5/5が春、5/6〜8/7までが夏、8/8〜11/7までが秋、11/8〜2/3までが冬) 中秋の 酢の街に見る 罪と罰 9月4日(金)の6時から半田の文化会館で 劇団うりんこの<罪と罰>を見ました。 なかなか良かったです。 罪と罰は私の一番好きな本で愛読書です。 長編ですが、何度も読み返しています。 大学生の頃に「ドストエフスキー」の魅力にはまり、 <罪と罰>から始めて、<カラマーゾフの兄弟>、<悪霊>、<白痴> などを夢中になって読んでいました。 その当時に買ったドストエフスキー全集全24巻が、 書棚に鎮座していますが、 その後は忙しさにかまけて、 彼の作品からは遠ざかり40年が過ぎてしまいました。 今回、半田市のおやこ劇場で<罪と罰>を見られると聞き、 やや興奮ぎみでした。 あの大長編を2時間の芝居でどう表現するのか? あの難しくて深遠なテーマをどう伝えるのか? それらの疑問は芝居が始まると同時に払拭されました。 芝居の脚本家とはすごいもので、 必ずしも原作の通りの順番に描いていくものではなく、 それにとらわれない、自由無碍なる発想で イマジネーションを膨らませ、表現していました。 また、舞台装置の作り方、原作にはない幽霊をだしたりと 小劇団ならではの工夫に感心しました。 この作品は、ロシア革命前の混沌とした帝政ロシアにあって、 貧乏な大学生が、自分の思想の正しさを 証明するために、強欲な金貸し婆を殺します。 それに苦悩するラスコーリニコフは、 最終的にはソーニアの無償の愛で救われますが、 人は神なしで生きていけるか?が根底の主題です。 また、この殺人事件を追ふ予審判事の 刑事コロンボばりの捜査も見物で、 推理小説としても十分に楽しめる作品です。 中秋や 神を見つけし 罪と罰 劇団の 一人三役 秋半ば ソーニアに 太めの女優 秋半ば 久しぶりに半田市の新美南吉記念館に行ってきました。 新美南吉(大正2年〜昭和18年)は半田市生まれの童話作家で、 今では教科書に載っている<ごん狐>が特に有名です。 生家は貧乏な畳家で、幼い時に養子に出されます。 苦学し東京外国語大学を卒業しますが、 おりからの世界不況のため、就職先がなく不遇の時代を過ごします。 童話や詩を書いて雑誌赤い鳥に投稿をし、 掲載されたのをきっかけに、童話作家になるために上京をします。 その時に同級生だった彼女と別れています。 恋をとるか出世をとるかの、 ハムレットなみの迷いがあったことでしょう。 その後、半田の岩滑小学校の代用教員や安城高校の教員をし、 安定した時代をすごし、童話や詩の作品をたくさん書きますが、 結核を患い、29才の若さで逝きました。 才能があり、書きたい物がいっぱいあって、 それが病気でできないことは、 凡人の私などの伺い知ることのできないことですが、 さぞかし無念だったと思います。 南吉の 恋の顛末 秋半ば 南吉に 不遇の時代 秋半ば 秋はもの思う季節、季語にも<秋思>というのがあります。 最近の私は、日々の生活に追われ、 現実的になり、あまり哲学的なことは考えなくなりましたが、 若い時は死とは?、無とは?、神とは?などと 哲学的な思考に耽り、秋の夜長を過ごしていました。 ニーチェは難解で、ほとんど理解できませんが、 この句では、哲学者の代表みたい形で出しました。 秋は人を哲学者にします。 中秋の 凡夫ニーチェと なりにけり |