蓮の花

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俳句

蓮の花 弥(み)勒(ろく)菩薩の 吐息かな

蓮の花 清濁持つて 彩(あや)をなす

夕闇に 力を抜くや 蓮の花

蓮の花 文士の縋(すが)る 蜘蛛の糸

黄昏や 風に委(ゆだ)ぬる 蓮の花
 
池の面(も)に 映る心や 蓮の花

黄昏に 白際立つや 蓮の花

イマジンの 歌ふ平和や 蓮の花

死に急ぐ 奇才文士や 蓮の花

この寺の 栄枯盛衰 蓮の花
 

 

季語について

 

 

俳句にまつわる話

 
 本来なら蓮の花を見に行って句を作りたいのですが、
句を作っていた5月の中旬から下旬にかけては、
蓮の花が咲いている時期ではなかったので、
今回は見にいくことができませんでした。

 ただ、3年ばかり前に、
睡蓮の季語で俳句を作る必要があった時に、
睡蓮とよく似ている蓮の花を見に行ったことがあります。
そこは大府にある「星名池」で、
ネットでも蓮の名所として有名な所です。
その時は休日で花の盛りも重なって、すごい数の人でした。

 その時のことが、結構深く印象に残っていたので、
その時の蓮池の様子や蓮の花の美しさを思い出しながら、
今回は作りました。

 私は蓮の花と聞いて、すぐに思いついたのは
芥川竜之介の「蜘蛛の糸」です。

 <蜘蛛の糸>のあらすじをまとめて見ます。
 蓮池から地獄の底を見ていた釈迦が、
一人の罪人を哀れに思い、救ってやろうと思います。
この罪人はどうしようもない悪人ですが、
一度だけ蜘蛛の命を救ったことがありました。
釈迦はそのことを思いだし、
蜘蛛の糸を垂らして、その男を救ってやろうとします。

 男はこれ幸いとその糸を伝って地獄から
抜けようとしますが、ふと下を見ると
たくさんの悪人が蜘蛛の糸にぶら下がっています。
このままだと、切れてしまうと思った男は、
ぶら下がった悪人どもをけ落とそうとしますが、
それが原因で糸が切れてしまうという話です。

 自分だけ助かれば良いという
心の狭さを諫めた話だと思います。

 蓮の花 文士の縋る 蜘蛛の糸

 芥川竜之介は若くして自殺をします。
今彼が地獄にいるかどうかはわかりませんが、
もし地獄にいたとしたら、自分の小説のごとく
一本の蜘蛛の糸に縋っているかもしれませんね。

 白い蓮の花を白蓮、
ピンクがかった蓮の花を紅蓮といいます。
私は、断然紅蓮の方が好きですが、
その清らかで汚れのない美しさは、
何にたとえることができるでしょうか?

 蓮の花 弥勒菩薩の 吐息かな

 人間とは業深きもので、
きれいごとだけでは生きていけません。
また<水清ければ魚住まず>ともいうように、
清濁あわせ飲む、そんな気概がなければ
強く生きられません。

 私は魅力的な人とは、
清濁合わせ持った人だと思うし、
どんな人にも、清と濁とがあると思っています。
蓮の花が美しいのは、清に隠れて濁があるからだと思います。

 蓮の花 清濁もつて 彩(あや)をなす

 花の盛りには沢山の人が蓮池に見物にきます。
明るい内は人が見ているので緊張し、凛としている
蓮の花ですが、夕闇が訪れ、人がいなくなると、
そっと力を抜いている。
蓮の花に限らず、どんなものも
(特に人間は)力を抜く時が必要です。

 夕闇に 力を抜くや 蓮の花
 

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