野焼

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俳句

貧しけど 夢ある頃の 野焼かな

野焼人 かつて革命 戦士かな

野を焼けば 嫁と姑の ごとく燃ゆ

激動の 昭和は遠き 野焼かな

行間に 思ひを馳する 野焼かな
 
野を焼くや 終はりて始む こと多し

野を焼きて ラスコリニコフ 再生す

野焼する 祖母は寡婦なり 頑固なり

野焼人 幾たび挫折 越えしかな

走り行く 球児の目指す 野焼かな
 

 

季語について

 

 

俳句にまつわる話

 
 野焼とは、春先に野原の枯草を焼くことです。
目的は、草萌えをよくし害虫を駆除し、その灰を肥料とすることです。

 私は蒲郡市に生まれ育ちましたが、
私の少年だった頃は、野焼は普通の出来事で、
特別な風景ではなく、田舎ではよくある景色でした。

 ゴミを家で燃やすことができるのは、
結構便利なもので、
例えば、失恋の痛手を癒すために、
過去と断絶し新しく出直すために、
手紙を燃やしたり、思い出の品を燃やしたこともありました。
 その燃える炎を見ている、なぜかすっきりとした気分になり、
過去の恋を忘れることができました。

 今は家庭でゴミを燃やすことも、
野焼も法律で禁止されています。
ダイオキシンとか、環境汚染の問題だと思いますが、
この便利さや手軽さはできなくなってこそ知るもので
少々残念なことでもあります。

 今の野焼は、消防署などへ届け出をし
消防車同伴の上、火事に万全の備えをしてやるもので、
日常では見ることはできなくなりました。

 そこで、昔のことを思い出しながら作ってみました。
 野焼の季語の本意は、
冬の枯草を燃やし、春に供える、いわば再生です。
 冬から春への再生、人生の再生、
そして再生とは、何かを捨てなければ、
得ることができないものもあります。

 野を焼くや終はりて始むこと多し
 野焼人幾たび挫折越えしかな

 最近つくづく決断をすることの重要さと難しさを感じます。
人生とは決断であり、決断がうまくできるかどうか、
それによって大きく左右されるものです。

 一番いけないのは、迷ったあげく
結局決断ができなかったことで、
結果はたとえ良かったとして、
決めたことが決断できなかったという
ことが、その後の人生に大きく影響すると思います。

 昭和25年生まれの私には、
昭和のいろいろなものがなくなり、
変わっていくことを実感しています。

 もちろん昭和が全て良かったなんて言わないけれど、
喉元すぎれば熱さ忘れるのたとえ通り、
今となっては、懐かしいものがいっぱいあります。

 貧しけど夢ある頃の野焼かな
 激動の昭和は遠き野焼かな
 野焼人かつて革命戦士かな

 手紙の行間を読む。
今のようにメールや携帯がなかった時代は、
手紙が主流でした。
さらに、自分の感情(特に恋は)を
あまり直接的に言えない時代でもあったので、
文面にはない真意を行間から想像し、
文面を補っていました。

 行間に思ひを馳する野焼かな

 私の愛読書は<罪と罰>です。
再生という言葉から、すぐに浮かんだのは、
この小説です。

 老婆殺しでシベリア流刑となった
ラスコーリニコフは、ソーニアの深い愛によって、
シベリヤの大地に再生をします。

 野を焼くやラスコーリニコフ再生す

 

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