春昼

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俳句

駅停まる 度に春昼 乗込みぬ

春昼の 客はスマホか 居眠るか

春昼や モカの香りと ビバルディ

会釈して 名前浮かばぬ 春の昼

春昼や 奉書眩しき 巫女の舞
 
春昼や チワワの座る ベビーカー

春昼の 写生子父に 教はりぬ

写生子の 揃ひの帽子 春の昼

爺婆の 中に写生子 春の昼

春昼を 連れて乗込む 田舎線

 

季語について

 

 

俳句にまつわる話

 
 春昼とは春の昼のこと。
この季語は春の昼の感じ、例えば、
冬から春になった安心感とか、
暖かさにほっとし、幸せを感じたり、
眠くて気怠い感じなど。
そんな春の昼が表現できたらいいなあと思って句を作りました。

 別に春の昼に限らず、電車に乗るとほとんどの人が
スマホをいじっています。
若い人はもちろんのこと、年輩の方もそうです。
なにをしているのか?若い人は圧倒的に
ゲームが多いようですが、
音楽を聴いたり、メールをしたりといろいろです。
昔みたいに本を読んでいる人はあまり見かけません。

 そういう私はもっぱら、そんな人達を観察して
俳句を作っています。

 春昼の客はスマホか居眠るか

 スマホ見るのは、人との繋がりが欲しいため、
誰かと繋がっていないと不安であるという、
現代人独特の不安や焦りみたいなものがある気がします。

 友達が多い人間は偉い、少ない人間はだめだという
変な風潮が蔓延し、だめ人間と思われたくないので、
自分は友達がいないとはなかなか言いにくいものです。
だから、なんとか人並みに友達が欲しいと思っていた、
若い時の私がそうでした。

 最近はそんなことより、
自分一人で生きていくこと、
そちらの方が重要だと考え努力をしています。

 友達がいないのは、だめな人間だという風潮、
これは絶対に間違っていると思います。
でも間違っていても、そう思っている人が多いのだから、
なんとか、現実の世界で友達が少ないなら、
せめてバーチャルの世界でもと思って、
snsやline、Twitterなどで友達の輪を広げようとしているけど、
私に言わせれば、本当に繋がっているのか?大いに疑問です。

 春昼のスマホの繋ぐ細き糸

 細き糸でも繋がっていれば良いけど、
ひょっとしたらその糸はすでに切れているかも、
いや最初から切れていたのかもしれません。
友達だと思っているのは自分だけかもしれません。

 スマホとはパンドラの箱春の昼

 パンドラの箱については、いろいろな説明がありますが、
私は簡単に「絶対に開けてはいけないと神から厳命されていた
箱を、パンドラが開けてしまい、その箱に入っていたありとあるゆる
災いが世に出てしまった。でも幸い希望だけが残った。」
こんな風に解釈しています。

 スマホはすばらしい機能があり、人に幸福を与える道具であることは
確かです。でも、使い方によっては
とんでもない災いをもたらすものでもあります。
ようは使い方次第、その人次第、最後はその人の人間性に行き着きますね。

 知多半島で有名な佐布里池の梅園、
この時期になると結構な人で賑わいます。
俳句を作るようになってからなんども行っています。
そんな梅園での出来事を思い出しながら作った句です。

 春昼やチワワの座るベビーカー
 
 写生は小学校の頃によくやりました。
ほとんどは学校の授業の一環でしたが、
絵が得意ではない私でしたが、
一度だけ竹島の写生で特選になったことがあり、
有頂天になったことを微かに覚えています。

 私に対して父は、絵も上手で、油絵をよく描いていましたが、
なんかの時に、水彩での空の書き方を教えてもらった
ことがあり、今でもそのことは覚えています。

 春昼の写生子父に教はりぬ
 写生子の揃ひの帽子春の昼
 爺婆の中に写生子春の昼

 もの忘れが激しく、名前が覚えられない、
どんどんいろいろなことを忘れてしまう。
だから仕方ないので、忘れないように書いておくけど、
その書いたものをどこに置いたのか忘れてしまいます。

 幸い今はgooleという強い味方があるので、
なんとかなっています。

 会釈して名前浮かばぬ春の昼

 顔は見たことがあるけど、どこの誰かは思い出せない
こんなことよくあります。
まあ、顔も忘れてしまうと、認知症であり、大変ですが、
まあ名前くらいなら、単なる老化現象と思って、気にしていません。

 春と聞くと、ビバルディの四季の<春>を思い出します。
卒業式の始まる前にこの曲をかけて、
会場を和ませていました。そんなことを長く経験したために、
この曲を聞くと強く春を感じます。

 春昼やモカの香りとビバルディ

 俳句に擬人法という手法はあります。
ものを人間に例えていうことですが、
うまく当てはまると、良い句になります。

 駅停まる度に春昼乗込みぬ
 春昼を連れて乗込む田舎線

 奉書とは、命令書のことで、
例えば天皇が下す命令が奉書で、命令の書かれた紙が奉書紙です。
厚手の白い紙です。

 巫女さんにはどこか色気を感じ好きなので、
私の句には頻繁に登場します。
巫女さんが正装し、長い髪を後ろで束ねる時に、
使う紙が奉書紙です。
 
 春昼や奉書眩しき巫女の舞
 

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