卯波

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俳句

立ちて伏す 卯波や永遠(とわ)の リフレイン

鎮魂の 海へと続く 卯波かな

卯波立つ 第九高らか 歌ふかに

卯波立ち 水子供養の 葉書来ぬ

心音の ように聞こゆる 卯波かな

 
片貝を 黄泉へ連れ去る 卯波かな

無情かな 片道切符 なる卯波

卯波寄す 誓子縁の 浜に佇つ

小躍りを するかに見ゆる 卯波かな

雄叫(おたけ)びを 上ぐる卯波や 海荒らぶ

 

季語について

 

 

俳句にまつわる話


 旧暦の4月は別名卯月と言いますが、
それは卯の花の咲く月ということだと思います。
 卯の花は白い花で、
♪卯の花の匂う垣根に 時鳥早も来鳴きて
忍音もらす 夏は来ぬ♪
と唱歌(夏は来ぬ)にも歌われるように、
日本を代表する初夏の花です。

 卯波は、卯の花のように白い波が立つから、
または卯月に立つ波(卯月波)から来たものです。
初夏に立つ波ということから、希望とか喜びを感じ、
元気をもらえるイメージの波です。

 この卯波で句を作るために、
2度海に出かけました。
 一度目は海が凪ていて、静かできらきらと光り輝く
初夏の海でしたが、もう一度は、
強風で海が荒れていたので、男らしい強さを感じる卯波でした。

 晴れていたり、曇っていたり、雨が降っていたりと
その状況によって卯波は変わり、句も180度違うものです。
また、その人が今までの経験から、
卯波に対してどのようなイメージをもっているかによっても、
大きく左右されます。

 私は海(波)から、深い意味を感じます。
海の大きさ、深さに底知れぬ怖さがあり、
そこから、どこか知らない世界へ連れて行かれるような気がします。
東北大震災からは余計に、死とか死者を意識してしまいます。
3.11の震災でのあの津波の映像は今でも
瞼に焼きついています。

 昨今では、地震の予知は不可能と言われています。
最近でも、熊本で大きな地震があり、
さらに日本は地震列島であることを考えると、
明日は我が身と覚悟して、備えるしかありません。

 といいながら、自分だけは大丈夫だと
どこか思っている、気楽な朔太郎がいます。

 鎮魂の海へと続く卯波かな
 片貝を黄泉へ連れ去る卯波かな

 片貝とは、浜に打ち上げられた、相棒のない貝のこと、
そんな貝を、卯波は相棒のいる黄泉の国へと
そっと連れ去ってくれます。(黄泉とは、死者のすむあの世のことです。)

 寄せては返す波、そのメカニズムにも畏怖を感じます。
そこには人智の及ばない自然の大きな力、
神の意志などを感じます。

 立ちて伏す卯波や永遠のリフレイン
 無情かな片道切符なる卯波

 季節によって、波から感じるものは変わるもので、
初夏の波である卯波からは、元気とか喜び、希望を
私は感じます。

 小躍りをするかに見ゆる卯波かな
 卯波立つ第九高らか歌ふかに

 第九とは、ベートーベンの交響曲第九番<歓喜の歌>です。
 

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