雨月
俳句 |
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晩節を 汚(けが)す秀吉 雨月かな 見えぬけど あるとみすずの 言ふ雨月 待ち詫びし 文の行間 読む雨月 恋人に 雨月も楽し 傘一つ 傘持つて 駅に父待つ 雨月かな |
オペ室の 灯の煌煌と 照る雨月 童謡を ふと口ずさむ 雨月かな 雨女 この中に居て 雨月かな 三成の 忠義裏目と 出て雨月 雨月とて そこに月ある 安堵かな |
季語について |
俳句にまつわる話 |
雨月とは、仲秋の名月(9月15日の満月)が雨で 見られないことを言います。 俳人や歌人などの風流な人は、それを悲しみ、 残念がって、雨月と言いましたが、 おそらく、心の中に名月を見ていたのでしょう。 晩節を 汚す秀吉 雨月かな 私の一番好きな小説は?と聞かれたら「太閤記」と 答えるでしょう。 太閤記は秀吉が百姓から身を起し 天下を取るまでの出世物語です。 信長へ足軽として仕え、いろいろと知恵を絞って、 出世をしていきます。 特に、墨俣の一夜城や、絶対に仕官をしないと言われていた 軍師竹中半兵衛を何度も何度を足を運び、 その誠意でもって口説き落とすあたりです。 ただ、天下をとってからの秀吉は、 奢り高ぶり、人の意見に耳を傾けなくなり、 わがまま勝手な老人となり、 朝鮮への出兵をしたあたりからは好きではありません。 太閤記によっては、晩年の秀吉を描かず それ以前で終わっている作品もたくさんあるのは、 私の考えと同じような人が多いためと思います。 秀吉は永く生きすぎた英雄であり、 まさに晩節を汚したわけです。 そんなわけで、晩年の秀吉は雨月のように、 とても残念なものです。 三成の 忠義裏目に 出て雨月 今のNHKの大河ドラマは「真田丸」です。 なかなか評判がいいみたいで、 最近の大河では良い視聴率を得ています。 主演の堺雅人と、 既成概念にとらわれない、脚本の三谷幸喜がいいのだと思います。 秀吉の死後は、豊臣家を守る三成と天下をとりたい 家康の対立が抜き差しならぬ状態になります。 冷静に見ると、三成の焦りが原因ですが、 それは、今の内になんとかしなければという焦り、 先が見える三成の頭の良さのためです。 でも、その賢さが嫌われ人望がありません。 それは人間的な感情がないためであり、 豊臣恩顧の武将にそっぽを向かれます。 ただ嫌われ役に徹するのも、豊臣家を守りたいという 秀吉への恩義や忠義のためで、 それが裏目裏目に出てしまいました。 見えぬけど あるとみすずの 言ふ雨月 金子みすずの詩に「星とたんぽぽ」があり、次のようなものですが、 青いお空のそこふかく、 海の小石のそのように、 夜がくるまでしずんでる、 昼のお星はめにみえぬ。 見えぬけれどもあるんだよ、 見えぬものでもあるんだよ。 私もよく思うですが、「見ると見えるは違う」ということです。 ものがそこにあったからといって、見えるわけではなく、 見ようという意志が必要です。 雨月も見えなくても、そこには名月があるわけで、 風情のある人は、心眼でみたり、 イメージを膨らませて見ることができます。 人の話もそうで、聞く気がなければ ただの雑音です。 また、たとえ家族が離ればなれでいても、 元気でいることさえわかっていれば、安心できるものです。 雨月とて そこに月ある 安堵かな 待ちわびし 文の行間 読む雨月 私の青春時代である50年前の恋愛は、 携帯電話がなく(家の電話は鬼門でした。(;>_<;)) 連絡手段としては、手紙が中心で、 そのころの郵便事情では、行きに3日、帰りに3日と 最低での1週間はかかるという悠長でじれったいものでした。 また、好きだとか嫌いとかの思ったことをはっきり言えない、 時代でもあり、特に私はだめなタイプでした。 だから、来た手紙の行間を必死で読んで、 相手の意志を推し量り、それによって次の行動に移る、 だから、恋が盛り上がりました。 恋人に 雨月も楽し 傘一つ 相合い傘の絵が、よく教室の黒板に 落書きされていました。 それを見ると、うらやましくもあり恥ずかしくもありの 複雑な気持ちとなりました。 相合い傘と言えば、 初恋の人との最初のデートが 少しの時間ですが、相合い傘になり、 その時の緊張感は今も覚えています。 |