萍(うきくさ)

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俳句

萍と 生きて放哉 句を遺す

萍の 寅の気楽さ 不自由さ

萍の 叶はぬ夢や 下克上

萍の いつか城持つ 夢を持つ

しがらみの なき萍に ある愁ひ
 
萍と なりて義経 みちのくへ

西行の 恋諦めて 萍に

萍の 生き様晒す 山頭火

萍の ついに晩成 成らずかな

萍と なりて芭蕉は 旅の日々
 

 

季語について

 

 

俳句にまつわる話


 萍(浮き草)は、根無し草ともいいます。
まずはイメージから、昔はよく「浮き草家業」などと言いました。
それは一つの場所に落ち着かず,浮き草のように,
転々と各地を渡り歩く職業やその人物のことです。
具体的には、露店業(香具師)とか行商人などのことだと思いますが、
今なら、アルバイトとか非正規社員、契約社員も
それに含まれるかも知れません。

 私は萍(浮き草)から、
真っ先にフーテンの寅さんが浮かびました。
萍のようにあっちへ行ったりこっちへ行ったりと、
自由にきままに暮らしているように見えますが、
実際はそれはそれで大変で、
逆に不自由なことも一杯あるような気がします。

 萍の 寅の気楽さ 不自由さ

 長い間同じ場所で暮らしていると、
いろいろなしがらみができてきます。
そのしがらみが良いんだという人もいますが、
私はあまり好きではありません。

 そして、息が詰まるようなしがらみを絶った時の
開放感は半端ではありません。
私は24歳の時に2年働いた会社を退職しましたが、
退職の日の開放感は今でも忘れられません。

 また、蒲郡から半田に移り居を構えた時も、
地縁というしがらみがなくなり開放感を感じました。
でも、もし蒲郡に住んでいたら、
幼友達も一杯いたわけで、違った老後を過ごしていたかもしれません。
どちらが良かったかは、人生をやり直すことができないので、
判断できませんが、しがらみがなければないで
寂しいと感じることも事実です。

 しがらみの なき萍に ある愁ひ

 萍は自由気ままに生きられる、そんなイメージから
男は萍に密かな憧れがあるような気がします。
もともと男は狩猟民族で、萍の血があるのですから…。

 萍の 心を男 隠し持つ

 でも私は自由といっても、無制限の自由はなく、
制限の中での自由であるべきだと思っています。
そこにはルールがあり、そのルールの中で、
精一杯動くことが自由だと思っています。
(中国やロシア、北朝鮮のような極端な国は別にして)

 萍の 甕(かめ)の中なる 自由かな

 萍のような暮らしをしている間は、
一人前の男ではないとしたら、
土地を買い、家を建てる(一国一城の主になる)ことは
男の悲願であり、一人前の男としての勲章でした。

 もちろんこんな考え方は古くて、
今は時代も大きく変わってきていると思いますが、
少なくとも私の生きてきた30年くらい前はそうでした。

 土地を買って、一戸建ての家を建てるには、
膨大な額のローンを30年近く組んで、
それを一生涯かけて返して行く人生でした。
それができたのも、高度成長とインフレのおかげで、
自分の息子に同じことをしたらと、勧めることは出来ません。
とても、大きなリスクを伴うので、決断と勇気のいることです。

 萍の いつか城持つ 夢を持つ
 故あって 萍ここに 家建てぬ

 いろいろな訳があり、今は萍のように
定職をもたず、貧乏で下流にいる人は、
決してその位置に安住している人ばかりではなく、
いつか見ておれという気概を持った人も多いと思います。
ただ、なかなか現実は厳しいですね…。
 
 萍の 叶はぬ夢や 下克上
 萍の ついに晩成 成らずかな

 萍といえば、俳人の尾崎放哉と種田山頭火を思い出します。

<尾崎放哉>の代表句
咳をしても一人
墓のうらに廻る
いれものがない両手でうける
こんなよい月を一人で見て寝る

<種田山頭火>の代表句
あるけばかつこういそげばかつこう
うしろすがたのしぐれてゆくか
分け入つても分け入つても青い山
鉄鉢の中へも霰

 明治生まれの有名な俳人です。
放哉は寺男として、山頭火は放浪の旅人として、
究極の貧乏と孤独の中で
自由律の俳句をつくり、名を残しました。

 一般的な俳句は、五・七・五の17文字に季語を含むものですが、
自由律俳句はそれに縛られない自由自在な俳句のことです。

 萍と 生きて放哉 句を遺す
 萍の 生き様晒す 山頭火

 萍と なりて芭蕉は 旅の日々
 萍と なりて義経 みちのくへ
 西行の 恋諦めて 萍に
 

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