日々の思い

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<h16.12.12>

<相田みつを物語>見ました。

 昨日の夜9時から放映された相田みつを物語を見ました。私が、相田みつをを知ったのは5年ばかり前です。もちろん、それ以前から、彼の作った独特の字体で書かれた言葉はカレンダーやのれんなどで見ていました。でも、それはただ見ていただけ。はっきり相田みつを意識したのは、ある人の紹介があって、彼の本を読んでからです。

 つまづいたって 

 いいじゃないか 

 にんげんだもの

 

 うばい合えば足らぬ

 わけ合えばあまる

 うばいあえば憎しみ

 わけ合えば安らぎ

 

 あとじゃ

 できねんだよ

 なあ

 いまのことは

 いましかできぬ

 

 やれなかった

 やらなかった

 どっちかな

 

 彼の詩を読んでいると、「どんなに偉い人間でも、過ちや失敗をする。それは、人間だから当たり前だ。」そういっている気がします。だからこそ、この年になっても未熟で、至らない自分が救われるようで、自然に涙が出てくるのでしょう。

 彼は1924年に生まれて67歳でなくなります。彼の職業は何と言ったら良いのでしょうか?書道家とは少し違うし、詩人とも違う。自分の思いを自分の言葉で表現した芸術家かな?相田光男にとんねるずの木梨憲武、夫人の千江に、久しぶりに見た薬師丸ひろ子。彼女は相変わらず可愛いですね(笑)。

 売れない芸術家に共通することとは言え、貧乏暮らしは辛かったでしょう。書を自転車に積んで行商のように売り歩く姿が彼の生き様を象徴していました。今では有名になり、彼の書は飛ぶように売れるけど、時代は彼の書をなかなか認めなかった。認められる間の苦労、その苦労に耐えられたのは千江の存在が大きかった。彼女は金持ちのお嬢さん、刺繍職人の貧乏息子とは釣り合わない関係。でも、彼の書に惚れてついて行きたいと願う。今まで恩になった人に<自分の生き様で返していく>という夫を尊敬し支えていく。

 個展を見に来た有名な書道家に<芸術家が庶民に迎合し、わかりやすく表現するのは、芸術の堕落だ>と言われます。また、ひらがなだらけで、分かり切ったことを書くそんな下を向いた書だから、便所に飾られるのだと批判した人もいました。こういう芸術論は確かにあるでしょう。でも、相田みつをはその反対を貫き、それを芸術までに高めました。

 彼の作品を見ると、ほっとさせられるのは、なぜなんでしょう?「そんなに頑張らなくてもいいよ」「人間だから失敗して当たり前」「生きていれば悪いことや嘘はついてもしかたがない」こんな言葉で、自分の至らない今までの人生を慰めてくれている気がします。

 相田みつをの詩は、自分の弱さを後ろから支えてくれているような、そんなつっかえ棒のような存在なんです。

 

 

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