日々の思い

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<h17.1.26>

戦場のピアニスト

 戦場のピアニストをビデオで見ました。主人公はポーランドに住むユダヤ人の名ピアニスト、特にショパンの名手でした。平穏な日々は、ナチスのポーランド侵略とユダヤ人の迫害で終わります。ゲットーでの暮らし、そして強制収容所での生活、さらにガス室へと…。その迫害の壮絶さは言語に絶するものがありました。人間が人間にそこまで出来るのか?人間としての心の痛みはどこへ行ってしまったのか?見終わった後、出るのはため息ばかりで冷静に映画の感想など書けませんでした。

 戦争の映画,特にナチスや日本軍の映画を見るたびに思うのですが,どうして止めることが出来なかったのでしょう?国民の中には反対する人もいたと思いますが、大きな声とはならなかった。(させなかったといったほうがいいかな?)大きな渦に飲み込まれてしまうと、自分の意思がどうあれ、そうせざるを得ない状況に追い込まれるものです。

 この映画の中で、ユダヤ人を取り締まるために、ユダヤ人の中から警察を選びます。同じ民族の中で、迫害されるものとするものが出てきます。生きるため,生活のためにやむをえないこととは言え悲しいことです。

 以前「朗読者」というベストセラーを読んだことがあります。ナチスの強制収容所の女性看守が主人公で、上からの命令でユダヤ人をガス室に送っていました。戦争が終わって戦犯として逃げる彼女の生活を描いた作品ですが、本当にその人に罪はあるのでしょうか?上からの命令にそむけば自分が殺される、ただ命令に従っただけ。でも、ユダヤ人から見たら絶対に許せない存在です。ある意味では、彼女も戦争の犠牲者で、戦争という非常時にはいっぱいそういうことがありました。

 自分を殺して大勢に組していく。これは、<生きながらに火に焼かれて>のめちゃくちゃな因習に従う部落の話と同じ事です。仲間はずれ、村八分が怖い。だから、おかしいと思ってもそれをやめることが出来ない。自分が犠牲になるからです。この解決法は、外からの大きな力が働くしか道はないかもしれません。国が一つの方向に行くことの怖さを感じます。いろいろな考え方があり、それが尊重される社会でありたいと強く願います。

 

 

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