日々の思い
<h17.2.11> |
レーロチカのパン |
2月5日中日新聞朝刊、中日春秋から
少し厳しい寒さに触れただけで愚痴が出るような身には想像もできない。大戦中のソ連の古都レニングラード、今のサンクトペテルブルグの惨状である。ドイツ軍に包囲された上に、激しい飢餓と極寒が町を襲った。その中に三歳の女の子ワレリア、愛称レーロチカの一家がいた。父は前線で行方不明。母は三人の娘に自分の配給パンまで分けていたが、末娘のレーロチカは衰弱し、パンの一片をほんの少し食べた後に息絶えた。63年前の2月のこと。手には食べ残しのパンが握られていた。それを、残された母と幼い姉は決して食べようとしなかった。作家早乙女勝元さんが前に出した「命をみつめる」(草の根出版会)で伝える話だ。半世紀近くたって姉は早乙女さんに当時を語った。「レーロチカの思い出のために残しておきましょう」。母は言い、明日をもしれぬ姉もそう思ったそうだ。「妹のパンだけは決して手をつけてはいけない」と。形見の小さなパンは市内の学校に保管された。写真で見ても、戦争の悲劇と共に、幼女の思い出を守り通した肉親の思いの尊厳が伝わる。日本では昨年一年で児童虐待が最多の229件を記録した。51人もの子供が亡くなっている。虐待ではないが、昨日は愛知県安城市で幼児が刺され死亡した。戦争とも飢餓とも無縁な国でごく一部の本人の所業とはいえ、子供に対するこのむごさは何か。いや、多くの人はどんな厳しい環境でもいたいけな生命の重みを守るはず。そんな希望を語ってやまない、レーロチカのパンだ。 |