日々の思い

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<h17.2.19>

母の満中陰の法要

  今日は母の満中陰の法要(49日)でした。我が家は浄土宗(南無阿弥陀仏)なので、臨終から忌明け法要までは、7日目ごとの法要がありました。初七日(しょなのか)忌、二七日(ふたなのか)忌、三七日(みなのか)忌、四七日(よなのか)忌、五七日(いつなのか)忌、六七日(むなのか)忌、そして今日が七七日(なななのか)忌<満中陰>です。

 実家が蒲郡だったのでお寺とお墓が蒲郡にあります。そのため、七日参りはすべてお寺でやりました。和尚さんに家にきてもらい家で法要をと思ったのですが、私の親戚は両方とも蒲郡の周辺ですから、お寺の方が集まるのにも都合がいいと思いました。そんなわけで金曜日の夜は7時の法要に間に合うように仕事を早めに切り上げてお寺に行っていました。七日参りには大勢の親戚の方がお参りにきてくれ、和尚さんがびっくりしていました。でも、実は一番びっくりしたのは私でした(笑)。妹夫婦と私の家族くらいを想像していたからです。今さらながら、母の人徳を知らされました。

 今日の法要は10時半からで法要の後、お墓に納骨をしました。あいにくの雨でしたが、幸い納骨の時だけ雨が止んでいてくれました。そのあと、近くの料亭で会食をして2時頃家に帰って来ました。

 私の家族を入れて22人の親戚が集まってくれました。七日参りのおかげ(終わった後に別室でお茶を飲んだ)で親戚の方とコミュニケーションがとれました。両家の交わりもできたみたいで、お寺の法要も良いなあと思っています。家でやると、掃除を含めて妻がいろいろ大変です。

 満中陰法要が終わって忌が明けました。法要のたびに和尚さんが供養や法要の意味を説明してくれました。 その話を要約すると、人の死後49日の間を仏教では中陰の期間といって、六道輪廻の間をさまよう期間とされています。六道とは人間がこの世の行いによって、死後に行かなければならない、「人間」「修羅」「畜生」「餓鬼」「地獄」の六つの世界の事です。七日ごとに裁判があり、この世の行いを裁かれます。その最大の裁判が49日目で裁判官があの閻魔大王だそうです。その時、親戚や家族が法要を開いて供養をすると、亡くなった人の応援をしたことになり、その裁判が有利に働くのだそうです。だから、49日は死者の運命(六道のどこへ行くか)が決まるので、満中陰といわれるそうです。また、その時に忌の汚れが除かれる(忌明け)ので、それを祝うため49日の法要は盛大に行なわれます。

 

 

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