日々の思い

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<h17.2.24>

アレキサンダーを見ました。

  アレキサンダー大王の知識は、高校の世界史習い今でも覚えている知識のみ。マケドニアで生まれ、若くして世界制覇を果たしたこと、占領した土地にアレキサンドリア市を作り、東西(ギリシャとオリエント)文化の合流を目指したこと、そしてそれをヘレニズム文化ということなどだけです。この知識だけでこの映画を見るのはちょっと辛い。最初にエジプト王でかつての彼の友人でかつ重臣であったプトレマイオスが、彼のことを思い出しながら語っていくという展開をとっている。そのため、字幕にその時代の背景や人間関係が延々書かれる。国や都市の名前、特に人物の名前がカタカナで表示されるため、頭の中でなぞっている間にアッという間に先にいってしまう(笑)、だから、世界史の知識や彼のことを良く知らないで見るとそこら辺がよくわからない。でも、知らなくてもこの映画を見ることの楽しみには関係がない(笑)。

 同じ時期の英雄を描いた作品に<トロイ>があったため、どうしてもその作品と比べてしまう。私は断然トロイに軍配を揚げる。トロイのブラットピットは格好良いし、ストーリーもわかりやすく変化に富んでいて良かった。その点こちらはストーリーがやや単調で、主役もイマイチでした。

 母親役にアンジェリーナ・ジョリーが扮していましたが、濃い役柄(復讐に燃える悪女)で強烈な印象を残しました。(アレキサンダーは残っていないのに……)アレキサンダーが彼女から逃げるために、7年間も東方の僻地を遠征していた気持ちが良くわかります。どこかに自分の安住の場(やすらぎの場)はないかと探しながら……。

 母親は<アキレス>の血を引き継ぐ家系、それに引き替え夫は野蛮な家系。母親はマケドニアの王の后になったとしても、そのことが許せない。自分の子供を王にしていつか夫に復讐をしてやろうと虎視眈々その時期をねらっている。蛇を常に首に巻いたり、一緒に生活していることからその執念深さが想像できる。夫を徹底的に嫌う女、アレキサンダーはそのことを心底嫌っていたのに、彼もまた同じタイプの女を后にしてしまう。この愚かさ。男は母親に似た女を好きになる、その典型みたいなもの(笑)。

 映画の中に色々な名言がありました。<王に生まれるのではなくて、王になるのだ> 父親がアレキサンダーに言う言葉。王の長男であっても、生まれながらにして世継ぎと決まったわけではない、自分の実力で勝ち取るものだ。つまり、王になるための努力をしろとの教えなのだろう。これは色々な言葉に置き換えることができる気がします。例えば、<人間に生まれるのではなくて、人間になるのだ>とか、<女に生まれるのではなくて、女になるのだ>とか。

 <王たるもの、部下に命令するものは、全て自分でできなくてはならない>これは、武術に励むアレキサンダーに先生が言います。これは厳しい言葉です。人の上に立つ者の戒めです。世の中、自分ができないから部下にやらせるという上司が多すぎます(笑)。私なども耳の痛い話です。無茶な上司がいたら、これからは、アレキサンダーを見習えと言いましょう(笑)。

<恐怖が人を支配する> 死の恐怖から人は戦争で戦い人を殺すことができる。あらゆることの動機は恐怖から逃れるためびもの。王を裏切り暗殺するのも、自分が殺されるかもという恐怖から。この時代の王と重臣との関係は、上下関係よりも友達のような関係で、王に対しても好きなことを言っています。でも、それがだんだん言えなくなっていく、それは初心を忘れ暴君になり、自分の我を通すようになったからだ。そして、いつしか自分の非を諭す重臣を裏切り者と考え死刑にしてしまう。そんな暴君は重臣達によっていつか暗殺をされる。ここら辺は、日本の武家社会と大分違う気がする。

 王が先頭を走って戦う。だから、王の強さ(精神的、肉体的共)が戦いを左右する。ペルシャ軍25万人を5万の兵でうち破るのは、織田信長の<桶狭間の戦い>を連想させる。その時は4万の大軍を2千の兵でした。戦法は同じで、敵の大将の首だけをねらうこと。 この戦闘シーンの壮大なスケールは凄いの一言。この映画の最大の見せ場、さすが制作費200億円の力です(笑)。

 

 

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