日々の思い

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<h17.4.23>

ローマ法王の逝去

  ローマ法王264代ヨハネ・パウロ2世がお亡くなりになりました。享年84歳、27年前に法王になられたわけだから、その時は57歳だったわけです。今回の法王が78歳ですから、随分若い法王だったわけです。若いだけにいろいろなプレッシャーがあったことと推察しています。

 27年前の法王を選ぶ選挙(コンクラーベ)のこと皆さん覚えていますか?私はその時は27歳だったので、今となっては細かいことは忘れましたが断片的には覚えています。あれから、もう27年も経ったのか?という感慨の方が大きいのですが……。

 今回の法王選挙はあっさりと決まりましたが、あの時の法王選挙は大変な時間がかかったと記憶しています。確か、一週間とか十日くらいはかかったのではないでしょうか?その様子をテレビで追い続けて、コンクラーベとは、まさに<根比べ>だあ〜と思ったものです。この言葉の絡みからこの選挙のことを鮮明に覚えていたのかもしれません。今回、このコンクラーベという言葉を27年ぶりに再び聞いて、一気にあの当時の自分が蘇ってきました。

 現在も過去も、私は宗教をもっていません。でも、心のよりどころに聖書がありました。大学時代から30歳くらいまでが、その一番影響を受けた時期ですが、その時でも、キリスト教徒にはなりませんでしたし、教会に行くこともありませんでした。これを、無教会主義と言うのだそうです。

 私は、大学時代に、ドストエフスキーに傾倒し彼の本を読みあさった時がありました。彼の苦悩は、絶対であるべき神が作った現実の世界が矛盾だらけであったことです。そして、神を信じている自分が、神を裏切るような事(飲酒、女性、賭博)ばかりする。この善と悪の間で苦しんでいました。天才といえども煩悩は凡人と同じなんですね。彼の有名な言葉に「神が真理の外にあるとしても、私は真理と共にあるよりも神と共にありたい」があります。信仰とはこういうものだと確信する言葉です。

 信仰を持とうかどうか大きく揺れた時期がありました。でも、結局踏み越えることはできずに現在の自分がいます。現在を我慢して来世に備えるより、現在を楽しく充実したものにしたいと考えたからだと思います。

 そんな状況の時に、前回の法王選挙があったから、注目をしたのだと思います。その証拠に今回の選挙は、前回に比して決して関心があったとは言えません。

 <幸せになりたいなら、人を許すことをおぼえなさい>

 これ誰の言葉だか知らないけど、人生の名言ですね。<許す>とは、自分の中で決着をつけること。それと同時に、精神的には自分に対して非礼なことをした人より、上に立つこと。すなわち勝ったことになります。

 <どうにもならないことをあきらめること>とか、<容易に人を許すことができる>とかの技術は心の平安や安定を保ち、幸せに生きるための最高のテクニックです。これがうまいできる人が、人生の達人です。

 キリスト教の中では、<懺悔と許し>はセットになった重要な教義。死刑囚が最後の時に、牧師を呼んで自分の罪を懺悔し、牧師が神に代わって許す。これによって、罪人も心おきなくあの世に旅たてるわけです。法王とは神に一番近い人、全ての人を許すことを求められるとは言え、自分を<狙撃した犯人の罪を許す>と言った法王は凄い人だと思います。人のことだと許せても、自分に関することはなかなか許せません。

 私は年のせいか、人を許せるようになりました。だいたいのことならその場で、また、その場では許せないことも時間を少しかければ許せるようになりました。まさしく<亀の甲より年の功です>ただ、許容範囲があると思います。もし、自分を殺そうとした人までも許せるかどうかは定かではありません。

 

 

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