日々の思い

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<h17.6.30>

さんま 秋刀魚 秋刀魚の詩

  私は明石家さんまが大好きで、彼のトーク番組はほとんど見ています。特に、踊るさんま御殿と恋のから騒ぎは初回からずっと見ています。

 島田伸助はさんまと共に現代を代表するトークの達人です。でも、二人の笑いの手法には大きな差があると私は思います。人が笑うのは、<人と自分を比較して自分が有利に立ったと思った時>だと思います。さんまは最後は自分の欠点(離婚、出っ歯等)で落として笑いをとり、伸助は他人の欠点で落として笑いをとっている。やや独断と偏見が入っているけど、そんな風に思えてなりません。

 秋刀魚を昨日の夕餉で食べました。秋刀魚といえば、秋が旬で脂がのっておいしいのですが、昨日食べた夏の秋刀魚もそこそこおいしかったです(笑)。秋刀魚の食べ方にもいろいろあります。私は、オオソドックスに大根おろしです。脂っこい秋刀魚に消化のよい大根おろしがベストマッチするのでしょう。

 子供の頃は、秋刀魚のはらわたが食べられなかったので、しっぽの方が好きでした。でも、大人になってはらわたのおいしさが分かってからは頭の方が断然好きです。あの苦みは大人の味です(笑)。

 <秋刀魚苦いかしょっぱいか……>

 これは有名な佐藤春夫の<秋刀魚の詩>ですが、この詩の本当の意味を知ると、この詩の悲しさ、辛さが胸を締め付けます。

 この詩を読む前に、この詩が読まれた時の状況を説明しましょう。作家谷崎潤一郎はあまりにも有名で、説明の必要はないのですが、人間的にはどうもあまり立派な人ではなかったみたいで、俗な言葉で言うと<女ぐせ>が悪かったようです(笑)。谷崎潤一郎は、若い時期から芸者遊びが好きで、通い詰めた置屋の芸者(お初)に惚れ、結婚を申し込みます。でも、その時お初は旦那持ちだったため、代わりに自分の妹ではどうか?という話しになり、谷崎もお初の妹ならと結婚がとんとん拍子で決まってしまいます。よほどお初に熱を上げていた証拠ですが、でも、冷静に考えたら飛んでもない話です(笑)。

 この妹が妻の千代子です。千代子はお初に勝る美貌の持ち主だったけど、千代子は活発なお初とは対照的な、おとなしく貞淑な女性でした。それが谷崎には不満だったわけです。

 そこに千代子の妹のおせいが登場します。おせいは姉のお初に似た性格で、谷崎好み。そこでしだいに谷崎はおせいの方に、気が移って行きます。

 佐藤春夫は谷崎潤一郎の親友です。家に出入りしている内に、千代子夫人に同情し、それがしだいに恋に代わって行きます。彼には妻がありましたが、冷えきった関係でした。

 谷崎は、佐藤が家にいる時に千代子と娘をおいて、妹のおせいを連れてどこかへ遊びに行ってします。そこで、残された3人で食卓を囲み、淋しく秋刀魚を食べるわけです。

 いったんは、谷崎は妻を佐藤に譲ると約束しますが、すぐにそれを反故にして、逢うことを禁じます。絶頂からどん底への転落。失意の内に、故郷に一人帰りますが、心身症に苦しみます。その時に読んだのがこの詩です。

 最終的には、谷崎は佐藤に千代子を譲り、二人は結婚をします。まさしく、<事実は小説より奇なり>です(笑)。

 以上のような、人間関係を知った上で<秋刀魚の詩>を読むと全然違った風景が見えてきます。

  秋刀魚の歌   佐藤春夫

あはれ

秋風よ

情あらば伝えてよ

― 男ありて

今日の夕餉に ひとり

さんまを食ひて

思いにふける と。

 

さんま、さんま。

そが上に青き蜜柑の酸をしたたらせて

さんまを食ふはその男のふる里のならひなり。

そのならひをあやしみなつかしみて女は

いくたびか青き蜜柑をもぎて夕餉にむかひけむ。

あはれ、人に捨てられんとする人妻と

妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、

愛うすき父を持ちし女の児は

小さき箸をあやつりなやみつつ

父ならぬ男にさんまの腸をくれむと言ふにあらずや。

 

あはれ

秋風よ

汝こそは見つらめ

世のつねならぬかの団欒を。

いかに

秋風よ

いとせめて

証せよ かの一ときの団欒夢に非ずと。

 

あはれ

秋風よ

情あらば伝えてよ、

夫を失はざりし妻と

父を失はざりし幼児とに伝えてよ

― 男ありて

今日の夕餉に ひとり

さんまを食ひて

涙をながす、と。

 

さんま、さんま、

さんま苦いか塩っぱいか。

そが上に熱き涙をしたたらせて

さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。

あわれ

げにこそは問はまほしくをかし。

 

 

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