日々の思い

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<h17.11.13>

「三丁目の夕日」を見てきました。


 11月12日(土)の夕方、半田コロナで<三丁目の夕日>を見てきました。

 昭和33年の東京夕日町3丁目に住む人々の心温まる人情劇場。 ベタベタの家族愛、人間愛を描いていました。あの頃はそんなベタベタがたまらなく嫌で嫌で、避けて来たのに、映画の世界では、なぜかなつかしく思えた。これは年を重ねてきたせいかな(笑)? 今なら許せない、できっこないと思えることが、なぜかできてしまう時代、それが昭和30年代でした。

 建設途中の東京タワーで映画が始まり、完成と共に映画が終わりました。完成をすると世界一になると、胸をはって言い切る人々の声が、あの時代の日本を象徴していました。確実な明るい未来が約束されていたと感じていた時代でした。

 昭和33年は私の8歳の時、そんな私にとっては、なつかしいものばかり。

 当時としては、やや豊かな「鈴木モータース」という個人経営(社長一人)の修理工場に集団就職で青森から中学を卒業したばかりの少女がきます。この集団就職は今でこそ私語になりましたが、中卒は金の卵と言われ、時代を象徴する言葉でした。「ああ上野駅」という井沢八郎の名曲もありました。

 その当時の三種の神器は<洗濯機、冷蔵庫、テレビ>でした。テレビが初めて家に来たのは、昭和35年小学校の4年生の時でした。それまでは、近所の金持ちの家に夕方だけ見せてもらいに行っていました。子供ながらにも肩身の狭かったことを覚えています。お風呂のもらい湯、呼び出し電話、テレビを一緒に見るその頃の隣近所のつき合いの濃さを表す出来事です。

 その他のなつかしいこと。エポックの野球版 フラフープ 力道山と空手チョップ。オート三輪 駄菓子屋のスカばかりのくじ

 ラストの家族が夕日を見ながら、「40年後も50年後も美しい夕日を眺めることができるといいね」で終わります。そして、今その時を迎えていますが、我々は、あの時と同じような美しい夕日を見ているのでしょうか?

 

 

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