日々の思い

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<h17.8.4>

 電車の車内放送

 8月2日(火)の午後に仕事で豊橋に行く用事があり、刈谷からJRに乗りました。特別快速で刈谷から豊橋までは約30分です。蒲郡を出て、小坂井のあたりで電車が急に止まりました。とまる前に電車の中で危険を知らせる不気味な金属音が鳴り響きました。私は一番先頭の車両に乗っていたので、運転席を通して、200m先の踏切に白い乗用車が止まっているのが見えました。まもなく、運転手の車内放送。<踏切で乗用車が脱輪しているので、しばらくお待ちください>との事。

 こんな時に<運><不運>を考えてしまうんですよね。踏切の脱輪がもっと遅くて、電車を止めることができなかったら私は一両目に乗っていたのだから、何が起こっても不思議はないわけです。そのちょっとした、時間の差や空間の差が<運と不運>を分ける境目なのでしょう。

 15分くらい停車した後、車が撤去されて運転再開。運転手は40歳代のベテラン、車掌は20代で新米でした。それから、何度となく車掌が車内放送で、遅れた理由を述べるのですが何度やってもしどろもどろ、こういう事になれていない事がバレバレ。もっとも、こんな事になれてもらっては困るのですが……(笑)。きっと、マニュアルにあればちゃんと言えるのでしょうがさすがにこれはマニュアルにはない。

 そして、最後の大失態。豊橋駅に着く前に車内放送で、この車掌はこう言ってしまいました。<本日は、踏切で乗用車が脱輪したおかげで、電車が遅れました。ご迷惑をおかけしました>

 でも、この<おかげ>放送、どれほどの人がおかしいと気がついたでしょうか?それは、日本語の文法を知らないという意味ではなくて、ほとんどの人が放送を聞いていなかったのでは?と思うわけです。

 それぞれ自分のことに忙しくて、車内放送どころではない、それが実情でしょう。

 日本語の難しさは、助詞<てにをは>の使い方で意味が違ってくることです。先ほどの<おかげ発言>は論外として、私も日本人として<てにをは>の使い方には苦労をしています(笑)。 <今日の君は綺麗だ><今日も君は綺麗だ>。恋人同士だと、<の>と<も>の使い方でけんかになるかも……。

 この車内放送を聞きながら、次のような詩を思いだしました。それは、日本語の難しさとすばらしさについて詠った藤井貞和の<あけがたには>という詩です。  

  夜汽車のなかを風が吹いていました

  ふしぎな車内放送が風をつたって聞こえます

 ・・・・・・よこはまには、二十三時五十三分

  とつかが、零時五分

  おおふな、零時十二分

  ふじさわは、零時十七分

  つじどうに、零時二十一分

  ちがさきへ、零時二十五分

 ひらつかで、零時三十一分

 おおいそを、零時三十五分

 にのみやでは、零時四十一分

 こうずちゃく、零時四十五分

 かものみやが、零時四十九分

 おだわらを、零時五十三分

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・

  ああ、この乗務車掌さんはわたしだ、日本語を

  苦しんでいる、いや、日本語で苦しんでいる

  日本語が、苦しんでいる

  わたしは目を抑えてちいさくなっていました

 あけがたには、なごやにつきます

 

 <藤井 貞和>は詩人で、日本文学の研究者(大学教授)です。この詩は、昨年11月に名古屋の中日文化センターの<現代詩>の講座に通っていた時に講師の先生から教えていただきました。

 この詩が、朝日新聞に掲載された時、賛否両論の投書がたくさんあったそうです。誰の思いも同じで、これが果たして詩といえるのか?です。

 我々の日常はいい加減で、ものを見ていないし聞いてもいません(笑)。普通の車掌なら、どうせ聞いていないんだから、いつものマニュアル通りの案内でいいやと思うのに、この車掌は、何とか工夫をしてお客様に聞いてもらおうと努力をしている。すばらしい人ですね。車掌という仕事に埃をもち、それをさらに良いものにしていこうという向上心がすばらしい。

 私も文章を書く時に、同じ言葉を使うのがいやなので、それと同じ状況を表す別の言葉を必死で探します(笑)。こうなると、言葉をどれだけ知っているか?(ボギャブラリーの豊富さが、良い文章を書けるかどうかの鍵となります。) これは、文章だけでなく、講演でそうですし、俳句でも短歌でもそうです。今<美人の日本語>がベストセラーになっていますが、これも同じ事です。たくさんの日本語を知っていると心が豊かになり、心の豊かさが表情や態度に出るわけです。

 

 

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