日々の思い

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<h17.9.12>

千の風になって

「千の風になって」という詩を、ご存じですか?私も最近知ったのですが、この素敵な詩に興味をもったので、図書館に行って、この詩のことを調べてみましたので、紹介させていただきます。

私のお墓の前で

泣かないでください

そこに私はいません

眠ってなんかいません

千の風に

千の風になって

あの大きな空を

吹きわたっています

 

秋には光になって

畑にふりそそぐ

冬はダイヤのように

きらめく雪になる

朝は鳥になって

あなたを目覚めさせる

夜は星になって

あなたを見守る

 

私のお墓の前で

泣かないでください

そこに私はいません

死んでなんかいません

千の風に

千の風になって

あの大きな空を

吹きわたっています

 

千の風に

千の風になって

あの大きな空を

吹きわたっています

 

あの大きな空を

吹きわたっています

 

詩の中で死者は、こんなメッセージをよせています。《自分はたしかに死んだ。けれど、今は人間以外の様々なものに生まれ変わって、けっこう元気に生きているから、そう嘆き悲しまないでほしい……》つまり、死者が生者をなぐさめているわけです。

 この英語で書かれたわずか12行の詩。作者もわからないし、タイトルもない、この詩を和訳したのは、作家の新井 満(あらい まん)氏です。かれは、作家、作詞・作曲家で、1988年「尋ね人の時間」で芥川賞を受賞しています。また、彼の公式ホームページ「マンダーランド通信」に行くと、この曲を聴くことができます。

http://www.twin.ne.jp/~m_nacht/

 この英語の詩を訳した経過とその後の反響は次の通りです。 7年前に幼友達の夫人が癌でなくなったそうです。その追悼のために、この英語詩が翻訳され、作曲され、彼によって歌われました。その時、30枚だけCDを作ったそうです。それがなくなれば、風と共に去っていくはずでした。 しかし、手元に残っていた最後の一枚が、朝日新聞の記者の手にわたり、天声人語に紹介されて大反響を呼んだわけです。

 <死んだら風になる>なんて、素敵なことでしょう。こんなふうに考えられたら、重い死ももう少し楽に考えられるかもしれません。

 この英語の原詩を作ったのは、ネイティブアメリカンの人ではないかと彼は考えています。ネイティブアメリカンとは、アメリカの先住民であるインディアンのことを言うのだそうです。彼らの考え方の中に、全てのものに精霊がやどり、死んだらそれらに生まれ変わるという考え方があります。もっとも、この考え方は古い時代の日本でもあったことで、<八百万の神>のように、森羅万象に神が宿っていると考えていました。

 ただこの考え方は、古く野蛮な原始宗教であるとして、時代と共に遠ざけられてきました。確かに、現代は物質文明が発達し、豊かな生活ができるようになりましたが、精神的な部分はどうなんでしょうか?決して昔の人と比べて豊かになっているような気がしません。いや、むしろ……。そんなことを考えると、果たして人類は進歩をしているのか?と、疑問に思えてきます。

 最近、散骨という言葉を良く聞きます。私の好きな<世界の中心で愛をさけぶ>でも、白血病で死ぬ亜紀は、オーストラリアの大地への散骨を希望しました。それを希望した理由は、彼女が修学旅行で行ったオーストリアの、先住民である、アボリジニの考え方に心酔していたからでしょう。アボリジニの考え方も、ネイティブアメリカンの考え方とよく似ています。亜紀は、散骨によって<風になった>わけです。

 死生観という言葉があります。どのように死を考え、それによってどう生きるかです。仏教的な輪廻転生、キリスト教的な天国への道、死んだら土に帰るという無宗教的考え方等、死んだらどうなるかの考え方で、その人の生き方は変わってきます。

 

 

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