日々の思い

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<h17.9.13>

死生観

 <千の風になって>の死生観の続きです。

 この間ようやく<竜馬がゆく>を完読しました。約3ヶ月もかかってしまいました。今さらながら、集中力のなさにあきれます(笑)。

 <武士道は死ぬことと見つけたり>これは葉隠れの一説ですが、武士の死に対する潔さには敬服します。特に切腹。死ぬことがわかっていて、それを名誉と受け入れて、平静に処せます。この小説の中でも「元服の時に、切腹の作法を懇切丁寧に教えられる。」とあります。大人になる儀式の中で、いかに格好良く死ぬかを学ぶのですから恐れ入ります(笑)。武士にとって、どのように生きるかも大切だけど、それ以上にどのように死ぬかが重要視されていたわけです。きっと死に方がずっと語り継がれて行ったのでしょう。

 土佐藩の勤王の志士に武市半平太がいます。その彼が弾圧を受け、切腹を命じられます。その時に、彼は<三文字切腹>を選びます。腹を数字の<三>に切るためには、三度腹に刀を差すわけですから、その痛さは想像を絶するものがあります。まあ、切腹はどれも痛いのでしょうが……(笑)。

 どこかで読んだ記憶がありますが、普通の切腹は、腹を刺した瞬間、介錯人が首をはねるそうですが、それが普通の切腹のような気がします。それにひき替え、武市は介錯を三文字が終わるまで断ったのですから凄いです。

 死ぬということが怖い私には、とてもできることではありません。胃ガンで告知されたらどうしようか?と悩んでいるくらいですから(笑)。切腹と決まってからどう心を保って行けるか自信がありません。

 武士には独自の死生観があるのでしょうか?仏教で言う所の、輪廻を信じていたのか?あまりにも死を恐れず、坦々と死んで行く姿を見ると、そんなことも知りたくなりました。

 昔、<菊と刀>という本の中で、日本は<恥の文化>であると言っていました。武士にとって、ものごとを決める最大の要因が恥、それをいかに回避するかが生きる目標だった。死ぬことを恐れることは恥であると考えてことでしょう。

 坂本竜馬の死生観は、次のようなものです。「われ死する時は命を天にかえし、高き官にのぼると思いさだめて死をおそるるなかれ」と、竜馬はその語録を手帳に書きとめ、自戒の言葉にしていたそうです。

 

 

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