日々の思い
<h18.1.17> |
鈍行列車の旅 |
灰谷健次郎の<子どもに教わったこと>というエッセイの中で、次のような文を登校拒否の子が書いています。 自分は人をむりやり押しのけてまで前へ進んで行こうとは思わない。鉄道でいえば、他の列車を無視(待避させて)してまで早く目的地まで行く特急列車は好きではない。多少は遅くてもすべての駅を知っている鈍行列車の方が好きだ。遅くとも多くのことを知っていきたいし、自分の意志と共に、人の意見も尊重していきたい。自分のことしか考えないような人間よりもよっぽどいいと思う。旅先の鈍行列車で人々を見て、ふと、こんなことを考えた。 この鈍行列車の旅は、山田洋次監督の映画「学校W15歳」の中の ”浪人の詩”と同じ事を言っています。皆さんは、4年くらい前になりますが、映画「学校W」を見ましたか?もし見ていないなら、ビデオもでていますから、ぜひ見てください。この映画の中に、不登校で高校に行けず、ずっと家にひきこもっている少年が書いた詩(浪人の詩)が出てきます。私の大好きな詩ですので、皆さに紹介します。
草原のど真ん中の一本道を あてもなく浪人が歩いている ほとんどの奴が馬に乗っても 浪人は歩いて草原を突っ切る 早く着くことなんか目的じゃないんだ 雲より遅くてじゅうぶんさ この星が浪人にくれるものを見落としたくないんだ 葉っぱに残る朝露 流れる雲 小鳥の小さなつぶやきを聞きのがしたくない だから浪人は立ち止まる そしてまた歩きはじめる
浪人が草原を一人で歩いている。他の者はすべて馬に乗っているが、彼は馬には乗らない。早くつく必要がないからだ。それよりも、歩くことで、その時々の自然の美しさを確かめながら行きたい。そんな詩です。 子どもには子どもの考え方がある。その子に応じた人生の歩幅がある。それを、大人は世間体とか見栄から、みんなと一緒にしようとする。それが子供達をどれだか傷つけていることでしょうか。 この詩は、私に新たな人生観を教えてくれました。人生は、早く行くだけが目的ではなく、それよりももっと大切なものがある。その時しかできないこと、早く行くことで見落としてしまうことがないように、ゆっくりと自分の歩幅で歩いていきたい。そんな風に今は思っています。 |