日々の思い

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<h20.5.26>

大阪城

 5/19(月)は大阪観光で、
朝一で大阪城に行きました。
難波から、地下鉄を乗り継いで谷町4丁目で下車
歩いて15分です。
この<谷町>という言葉を聞いて、
相撲の世界での<谷町>を思いだしましたが
はたしてそれに関係があるのか?
そこで、ネットで調べて見ました。

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タニマチ(谷町)とは相撲界の隠語で、
ひいきにしてくれる客、または後援してくれる人、
無償スポンサーのこと。
現在では相撲界以外に野球界、
プロレス界などの他のスポーツ、
また演歌界を中心に芸能界でも幅広く使われる。

「タニマチ」の語源は諸説ある。
江戸時代、あるいは明治の初期に大阪の谷町(たにまち)で
開業していた医者が大の相撲好きで、
力士が診察に訪れた際に治療費を受け取らなかったことから来ている、
という話が有名である。
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ということで、やはりそうでした。
なぜか嬉しいです(*^_^*)。

 地下鉄を降りて、大阪城の方へ歩いて行くと、
大きな建物が見えますが、
それは、NHK大阪と大阪歴史博物館でした。
博物館では、<篤姫>の特別展をやっていたので、
帰りに見ようと思っていたけど、
帰りは疲れていて、そんなことはすっかり忘れてしまいました(^_^;)。

 大阪城の広さ、半端ではないですね、
一つの都市のようなものとは、
西軍の将の誰かが言った言葉です。
難攻不落の大阪城、全てを閉ざして籠城をしていれば、
城が落ちるはずがない。
このことは、大阪城をこの目でみて実感としてわかりました。

 西軍が、冬の陣、夏の陣と破れたのは、
いろいろな要素があるけど、
やはり、外堀や内堀を徳川の計略にかかって埋めてしまったことが
一番大きいかもしれません。
あの広くて深い外堀があれば、
あの当時の軍事力では攻め落とすことは困難を極めたことでしょう。
結局淀君を筆頭とした、
西軍の心の弱さが原因で負けたのでしょう。
そんな中で、語群奮闘した真田幸村の勇士が目に浮かびました。

 それにしても、大阪城での中国人観光客の多いこと。
すれ違う人のほとんどが、大きな声で、
まるで怒っているような中国語でしゃべっていました。
四川省の大地震は大丈夫なんでしょうか?
そんなつっこみを入れたくなりました(^_^;)。
それと、平日だったので、小学生の遠足と、
中学生の修学旅行も多かったです。

  現在の天守閣は1931年に完成した三代目だそうで、
初代は大阪夏の陣で焼失しました。

 天守閣の見事さは、絵に描いたようなものです。
時々大掃除をして、きれいさを保っているのでしょう。
まさに、秀吉好みの豪華絢爛な天守閣です。
その天守閣に昇り、下界を見下ろすと、
自分が天下人になった気分がします。
 

 

 

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