日々の思い
<h21.2.27> |
半田の赤煉瓦 |
半田市は、江戸から現代まで続く代表的産業として、 食酢や日本酒といった醸造業が盛んです。 その一環として、丸三麦酒株式会社が この赤煉瓦の醸造工場を建ててビールを造り始めました。 明治に始まり、関東大震災以後は ほとんど建てられなくなったレンガ造建築(地震に弱いため)は、 現存している建物は少なく、この赤煉瓦は、 東京駅、横浜新港埠頭倉庫に次ぐ大規模な建築物です。 今のビール会社の主なものは、 アサヒ、キリン、サッポロ、サントリー、カブトの5社ですが、 明治時代の後半では、ここで作られたカブトビールを入れて 5社(サッポロ、アサヒ、キリン、エビス、カブト)でした。 この中で現存するのは当工場を含め3〜4工場しかなく、 さらに、この建物は明治時代を代表する建築家・妻木頼黄の作であり、 この意味でも貴重な存在です。 太平洋戦争の時には、中島飛行機製作所の資材倉庫になり、 1945年に 空襲を受け、その機銃掃射の跡が妻側の壁にあり、 歴史の証人としても重要な建物となっています。 赤煉瓦機銃跡あり野水仙 赤煉瓦栄華偲びし野水仙 廃屋の今も夢見し野水仙 |