日々の思い

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<h21.5.25>

この頃の私

 小筆を中日文化センターで習って
2年が経ちました。
2年前の誕生日の時(5月18日)に始めたのでわかりやすいです。
わかりやすいと言えば、俳句も湯〜ができる少し前だったので、
こちらも湯〜が続く限り、何年経ったかわかりやすいです(*^_^*)。

 誕生日といえば、この間の<鳥取砂丘ととっとり花回廊>への
一泊二日のバスツアーは、宿泊した日が5月18日の誕生日だったのですが、
宿泊先のホテルの部屋番号が、なんと518でした。
それだけの話ですが、何か嬉しかったです(*^_^*)。

 
 小筆を始めた動機は
「俳句をさらさらと筆で書きたい」ということからです。
小筆は楷書を一通り終え、
今は行書に入っています。

 行書とは楷書を崩したもの、
さらに崩すと草書になりますが、
草書は普通の人にはほとんど読めません。

 先生の指導で、小学館の8マスの国語ノートを使っていますが、
それが9冊になりました。(清書して先生に添削してもらいます)
先ほど1冊目を見ていましたが、
ものすごく下手で思わず赤面をしてしまいました(^^;)。

 筆を持ったのは小学校の書道の時間以来ですから、
慣れない筆で、基本もわからずに、我流で書いたのですから、
当然と言えば当然ですが、
それを最初に先生に見せた時には
結構恥ずかしく、勇気がいりました。
(中年以降に新しいことを始める時は、
この恥ずかしさを克服することが鍵ですね)

 今はその時と比べると、筆にもなれて、
基本も教えてもらいましたので、
お手本に近い字が書けるようになりました。
やはり、書の上達には練習をして筆に慣れることが大事ですね。
今では、仕事で文字を書く時、できるだけ筆で書くようにしています。
(筆ペンでも、筆とほとんど同じ感触のものがあります)

 ただ、まだまだですね(^_^;)。
習い事は何事もそうだと思いますが、
やればやるほど難しくなるもの。
奥の深いものです。
それがわかってくるのは、上達した証だと思っています。

 よくピカソの絵を見て、
こんな子供みたい絵なら、誰でも書けると言いますが、
ピカソはデッサンを極め、絵画の基礎が十分できた上に、
絵の天分があったわけで、
絵を勉強した人だからこそ、ピカソの偉大さがわかるというものです。

 それと同じですね。
書道展を見て、ミミズののたうち回っているような字だと
これなら、書けそうだと思っていましたが、
今は恥ずかしくてそんなことは言えません。
文字が崩せるようになり、さらにそこに個性が出せるには
どれだけの練習量と努力、才能が必要なのでしょうか?
気が遠くなります(^_^;)。

 今は平日は1時間、土日は3時間くらい練習することを
目標にしていますが、なかなか時間が取れず苦戦をしていますが、
今は字を書くことに、喜びを感じていますので、
このままこの気持ちが続いてくれることを願っています。

 俳句を始めたのは老後に
何か有意義な趣味を持ちたいと思ったからです。
でも、これほど夢中になれるとは思っていなくて、
自分が一番びっくりしています。

 俳句は中日文化センターに通い出して4年半になります。
その時は全くの素人でしたので、最初の頃の句を見ると、
恥ずかしくて顔が赤くなり、誰にも見せたくないと思ってしまいます。

 良い句を作ろう、格好良く作ろう、人から凄いと思われたいと
そんな意識が丸見えで、自分の恥をさらしているようです(^^;)。

 最近は、もう少し素直にありのままを形にして句を作っています。
わかりやすい言葉とわかりやすい表現で、
深く味わいのある句を作りたいと思っていますが、まだまだですね(*^_^*)。

 私は、現在毎週第1、第3土曜日は名古屋の中日文化センターへ、
第2土曜日は常滑(きよみず会)、
第4日曜日は常滑(夏炉会)に参加しています。
そこには年齢が70歳以上の方がほとんどで、
句歴30年、40年という大先輩がいっぱいします。

 59歳の私が最年少なのですから、
自ずと雰囲気がわかってもらえると思います(*^_^*)。
私などはまだまだヒヨッコのような存在です。

 ただ、俳句の場合は長くやっていれば良いかというとそうばかりでもなく、
やはりその人の感性とか才能が大きな世界でもあります。
(もちろん、努力も必要ですが…………)

 俳句の勉強には、俳人の句集などを読めば良いのですが、
なかなか、句会のために句を作ることに追われて、勉強ができません。
まあ、何事も頭から入ることが多く、
頭でっかちになりがちな私ですから、
その反省も含めて、
とにかく句を作るという行動から入ることも大事だと思って、
今は毎回の俳句作りに追われています(*^_^*)。
 

 

 

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