日々の思い

日々の思いの目次へ 

 

<h22.5.5>

斎王

 4月24日(土)に三重県松阪市の近くにある斎宮市に行き
斎宮記念館を見てきました。

 斎王のこと、皆さんご存じですか?

 斎王とは、飛鳥時代から南北朝までの660年間
天皇に代わって伊勢神宮を守るために送られた巫女のことで
内親王(天皇の姉妹や娘)で未婚の女性が、
卜定(ぼくじょう)と呼ばれる、亀の甲羅を使った占いで選ばれていました。
斎王になると何か大きなこと(天皇の死や譲位など)がない限り
斎宮のある伊勢の地で暮らさなければなりませんでした。

 斎宮とは斎王の住んでいた宮殿のことで、
500人もの人が斎王に仕えていました。
斎宮のあった場所は、伊勢神宮から10qほど離れた地で、
年に3度だけ伊勢神宮に天皇の名代としてお詣りに行くのが仕事で、
後は斎宮で暮らしていました。
その暮らしは雅の世界とは言え、寂しく悲しいものであったと
想像しています。

 660年の間に60人ほどの斎王がいたそうですが、
その数ほどに悲しい別れのドラマがあったことでしょう。
中には8才の少女や、
許嫁や好きな人と別れさせられた斎王もいたと聞きます。

 巫女として女を捨てた生活
内親王に生まれた故の悲劇ですね。
人には運命(さだめ)があるとはいえ、
それに逆らうことができない斎王を見ると、
人の幸せとは何かと、つくづくと考えさせられてしまいます。

 斎王と決まると、都で3年間の準備の後、
五泊六日の旅をして、都から伊勢の地へ向かいます。
これを斎王群行といいますが、
天皇の権威を誇示するための、華やかな群行でした。
群行は輿(こし)での移動で、
その中で、斎王は何を考えていたのでしょうか?

 その輿を記念館の中で見ることができましたが、
豪華で華やかな輿の中は、たった半畳の広さでした。
こんな狭い中に閉じこめられた旅
流人の如き旅ですね。

 写真は、@著我(しゃが)の花(楚々とした中に
上品さとはかなさを感じさせる花で、
斎王にぴったりの花だと思います)
A斎王の輿、B斎宮の1/10の復元模型です。

そこで一句。

斎王の輿は半畳著我の花
ト定(ぼくじょう)の選ぶ斎王春の闇
斎王という名の流人著我の花
斎王や人には運命(さだめ)著我の花
 

 

 

上に戻る