日々の思い

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<h25.8.20>

風立ちぬの「ぬ」について

 私は俳句を始めて9年目になりますが、
ずっと避けて来たことがあります。
それは、文語の勉強です。

 俳句は基本的には文語+旧仮名遣いです。
そのため、本格的に俳句をやるためには、
文語の知識は、どうしても避けて通れないとわかり、
今年の夏から「俳句に使われる文語」の勉強を始めました。
まだ、初歩の初歩ですが、難しいです(;>_<;)。

 私も、学生時代は古文は苦手で逃げていたので、
その当時のことを思い出しながら、勉強をしています。
そんなレベルなので、間違っているかもしれませんが、
私の思うことも添えながら書かせていただきます。

 文語体での「ぬ」は完了の助動詞です。
私の読んでいる本によりますと、
完了の助動詞は、「継続していた動作・作用・状態が
完全に終了していること」を表すそうです。
だから、「風立ちぬ」は「風が立った」との意味になります。

 ※ネットによると、「風が立つ」とは、
風が起きるという意味だそうです。

 今までは風が起こっていない(吹いていない)状態が、
完了して風が起こった。そんな感じで私はとらえています。

 また、有名な映画の「風と共に去りぬ」も
「風と共に去った」との意味になります。

 ただ、私的には「ぬ」よりも「風」という言葉に
深い象徴的な意味があるのではないかと、気になっています。
この二つ作品に共通しているのは戦争です。

 宮崎駿の「風立ちぬ」の「風」には、「戦争」とか
「菜穂子との愛」とか「夢であった飛行機の完成」とかが連想されます。

 「風立ちぬ」と聞くと、私は小説よりも
松田聖子の「風立ちぬ」を思ってしまします(*^_^*)。

 ネットでこの歌詞を改めて読むと、
女性が高原で別れの手紙を書いています。
高原ですから、下界の暑い夏の風ではない、
秋を感じさせる爽やかな風が吹いたのでしょう。
また、この場合の「立つ」には立秋も連想させます。

 立秋は、8月7日でまだまだ暑いですが、
暦の上では秋(俳句でも秋の季語)で、
気持ち的には秋を感じさせるものです。

 この歌は夏の恋の終わりを
秋の風が吹いたことで予感した女性の心を歌ったものだと思います(*^_^*)。
 
 

 

 

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