浄土宗西山禪林寺派とは                 平成1769

 わが圓光寺は浄土宗西山禪林寺派に所属するお寺です。浄土宗といえば、法然上人に始まり、有名な寺院としては京都知恩院、東京では増上寺とみなさんはイメージされることと思います。ところが法然上人(宗祖といいます)は間違いないのですが、知恩院も増上寺も当禪林寺派とは別の派(鎮西派)のお寺なのです。

 浄土宗は承安5年(1175年)法然が43歳のとき、善導大師の『観経疏』第4巻「散善義」のなかの

 一心専念弥陀名号 行住坐臥 不問時節久近 念念不捨者 是名正定之業 順彼仏願

(いっしんせんねんみだみょうごう ぎょうじゅうざが ふもんじせつくごん ねんねん ふしゃしゃ ぜみょうしょうじょうしごう じゅんぴぶつがんこ)
 〜大意〜
 一心に専ら弥陀の名号を念じて、行住坐臥に、時節の久近を問わず、念々に捨てざる者 これを正定の業と名付く、かの仏の願に順ずるがゆえに

という一文を見て専修念仏に帰入したときをもって、開宗としています。それまでの天台浄土宗と訣別し、比叡山を下山、念仏の一行だけで極楽往生しようとする宗教的立場を確立しました。

 法然の念仏に対する考え方については後で簡単に述べますが、鎌倉時代という末法の世にマッチした教え、また誰にでもできるという易しさから急速に広まっていきました。12世紀末から13世紀初めにかけ、初期浄土宗諸派の始祖となった証空(西山派)、弁長(鎮西派)、親鸞、幸西、長西、隆寛が法然のもとに弟子入りをしています。

 西山派の派祖証空は、内大臣久我通親の一門、加賀権守源親季の長子として1177年京洛に生まれました。法然が『選択集』を撰述したときの勘文の役(諸事を調べて上申する)を勤めるなど学識が高い人物でありました。他の弟子たちが仏教の他流派からの転向が多いのに比べ、証空は法然のもとで学び、念仏者の道徳的実践となる円頓戒をも伝えられています。したがって証空の教学には天台宗の影響が顕れているといわれます。証空のあと、西山派は浄音の西谷(せいこく)流、円空の深草流、証入の東山(とうざん)流、道観の嵯峨流にわかれ、ほかに示導の本山流を開きました。この五流のうち後世おおいに栄えたのが、西谷流と深草流です。前者は禪林寺、光明寺、後者は誓願寺、円福寺が代表的ですが、現在では光明寺を中心とした西山浄土宗、誓願寺を中心とした浄土宗西山深草派、そして私たちの禪林寺を中心とした浄土宗西山禪林寺派の三派に分かれています。

 同じ浄土宗でも弁長の鎮西義との違いは何でしょうか?教えの解釈の違いは多岐にわたるようですが、ここでは“念仏”に対する考え方について特化し触れることにしたいと思います。

 そもそも法然が専修念仏に回心した『観経疏』第4巻「散善義」によると、念仏とは行者側が起こす行ではなく、阿弥陀仏が全ての念仏の衆生を極楽往生させるまでは仏にならないと誓われた本願によるものであります。したがって鎮西派においては、ひたすらに口で南無阿弥陀仏と唱えることを専らにすることが本願にかなうものであると考えました。これは法然の口唱念仏をそのまま継承したといってよいのかもしれません。一方証空は唱名の回数に励むよりも、“衆生の阿弥陀仏への帰依心”の考察を深めていきました。

 証空は念仏の最終的な状態を意味するものとして、「憶念」という言葉を用いました。この“憶”の意味は“記憶”でありますので、「憶念」とは相続する念仏ということになります。それに加え証空はこの語に“口唱の念仏の奥にあって、南無阿弥陀仏がそこから出てくるといったようなもの”という意味で用いました。言い換えると、衆生からの念仏に対し必ず仏が応えてくれる、衆生と仏が一体となっている状態を表している、と解釈しました。

 つまり、口唱の南無阿弥陀仏は言葉による行(口業)であることから抜け出せないが、この「憶念」は仏教的な行為である三業(身・口・意)を超え仏と衆生が一体となった状態であり、究極の念仏がこれであると考えたのです。この言葉を超えた言忘慮絶の念仏三昧の状態(離三業の念仏)こそが往生に適うものとしたのでありました。大切なのは口唱の念仏をすることの回数の多い少ないを言うのではなく、その向こうにある仏との一体化という状態である、としたのです。

 話が難しくなってしまいましたが、我々力のない凡夫である衆生を阿弥陀仏の力によって救済していただく、往生へと導いていただくというスタートについては同じであります。そのための方法として念仏を唱えるのも同じ、念仏を行としてとらえひたすらに口唱するか、口唱の先の極限的に仏との同化を図るのか、というところにその違いがあるようです。

 西山派と鎮西派の違いは単に念仏に対する解釈にとどまりません。ただ浄土宗だから、みな同じということではないということは理解していただきたいと思います。そこに優劣をつけるというのではなく、同じ法然を祖としていても教えの解釈によって展開の仕方は様々であるということです。

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