Blogより抜粋。 旅の後日談、どうぞ。( 友人の子供です)


  Eye」あとがきについてV            2006/02/15
   「Eye」あとがきについてU            2006/02/15
   「Eye」あとがきについてT            2006/02/15


  国語2                        2005/01/13
  イスラエルで出会った友達            2004/12/08
  旅と恋愛                      2004/12/30

  日本で出会ったアフガニスタン人        2004/12/08
  馬をもらった友達                 2004/12/02
  旅の仲間                      2004/11/01

 

 

 

 「Eye」あとがきについて V                          2006/02/15

 

本を読み終え、1分ほど沈黙が続く。

「……」
「……」

僕もそれ以上言葉がでない。

そして、数十秒後、彼女は黙って、にんまりとうなずいてくれた。
(やった!大成功!!!ダイヤモンドを渡さな!!)

僕は今日のために用意していたものを渡したく、車の後部座席に隠していたものを取り出した。

「これ……。。。」
指輪渡そうと思うてんけど、今あんまお金なかったから」
「前からずっとほしいいうとった、『ダイヤモンド銅釜』!」

「!!!!!えーーーー!!!!すごい!どうしたん?」

「ずっとほしいって行ってたから、買うてきてん!♪」
彼女の顔は笑顔で緩みっぱなしだ。


さて、「ダイヤモンド銅釜」。
何だそれ?というのが正直な感想だと思うが、実はこれは何かというと、「炊飯器」である。

僕の彼女は「お米好き」。
今まで付き合ってから、僕に欲しいと言ったものは、炊飯器ぐらいだ。

とはいっても、ただの「お米好き」ではない。
大のお米好きだから、炊飯器へのこだわりも違う。
今ナショナルの最高級炊飯器は「ダイヤモンド銅釜」と言われる銅釜で作られている。

今の炊飯器、IH機能だけでも十分おいしいのだが、最近、「スチーム」や「銅釜」というのが売れている。
「スチーム」は蒸して炊くので、水分が飛ばずにおいしく炊けるのである。
そして「銅釜」に関してはグレードがあり、最上級のランクとして「ダイヤモンド銅釜」があるのだ。

「ダイヤモンド銅釜」
このクラスになると、炊飯器本体の仕様も異なってくる。
通常のIHは、釜の周りを巻く電熱のコイルが一重なのだが、3重・4重・5重となるにつれて、
均等に熱が伝わるのでおいしく炊ける。そして業界でも5重の「ダイヤモンド銅釜」が最高級商品で、
信じられないだろうが炊飯器で7万円もするのである。

ナショナルの「スチーム」「ダイヤモンド銅釜」炊飯器は、
独自の商品で最近のお料理番組ででもよく使われている。

今まで、
「IHでも十分おいしいらしいで!」
「コイルも3重ぐらいでええんちゃう?!」
と僕が念仏のようにいい続けても、

「えーー!スチーム!スチーム!」
「ダイヤモンド銅釜!ダイヤモンド銅釜!」
とあまり聞く耳もたない。まさに馬の耳にである。

普段、ものを欲しいと言わないから…炊飯器ぐらいは…これを機会に彼女に送ろう!
金額的には、ダイヤを買ってもいっしょぐらいかもしれないが、こっちのほうが喜ばれそうなので、
今回は「ダイヤモンド銅釜」を送ることにした。

車の中で、彼女は嬉しそうに、にたにたしている。

あとがきに載っている言葉を読んだ時よりも、
僕がプロポーズした時よりも、一番の笑顔でいる気がする。

「どれが一番嬉しかった?」
帰り道の道路を走りながら、この質問をしてみようと思ったが、
今は怖くてすぐには聞けず、助手席を見てみると、
炊飯器を抱えて、彼女は最高の笑顔で笑っていた。

今僕の自宅に置かれている炊飯器は「ダイヤモンド銅釜様」となっている。

 


 

   「Eye」あとがきについて U                         2006/02/15


ところで、完成したあとがきだが、原稿【本編】は見せていたが、出版するまでもちろん彼女には黙っていた。

「ケンジ、あとがきできたん?」
「うーん、あかんわ、決まらん…」

そして向かえた発売日当日。僕は仕事の休みをとり、
彼女を含めて友人と3人で市内の本屋へ買いに行くことにした。

「本売ってるかなぁ?売ってたら嬉しいなぁ」
「うーん、大きい本屋には置いてると思うんやけどなぁ…どこに置いてるかわからんし…」

1件目「Book First」。探してみるが、置いていない。。
一発目ということで、しょんぼり気味だったが、店員に尋ねてみると、
「たぶん、明日には入ってくる予定ですよ♪」

気を取り直して2件目。ジュンクドウ。
大きい本屋ということで、どこのカテゴリーに置いているかわからなく、店内を彷徨うこと10分。

「あった!」
写真コーナーのところに6冊置いていた。

「わーーーーーー!!!!!!」
「わーーーーーー!!!!!!」
3人して、大騒ぎ。

「早く、読みたい!」
「あとで一緒に読もうや!」
「うん!」

発売していたことについてはとても嬉しかったが、反面これから起きることの状況に少々僕は緊張していた。

(とうとうプロポーズする時がきたわ…)

そしてその日の夜、僕たちは友人と別れ、彼女とドライブに出かけることにした。
普段めったにドライブにでかけないため、彼女は少し感ずいていただろうか。

「どこ向かってるん?」
「んーどこ行こか?久しぶりに生駒山行こか…」
「やったー!いこまさん!いこまさん!」

関西で生駒山といえば、誰もが知る夜景ポイント。
冬の夜景は美しい。澄みきった空気が、大阪市内の景色をさらに輝かせる。

「あー!ほんでも、めがね忘れた!」
「あーあ…しょんぼりやん…」

いつも行き先をあまり言わずどこでも連れて行くので、彼女もいきなりの行動に慣れてはいるのだが、
少々残念がっていた。
しかし僕にとっては、夜景よりもプロポーズが今回の最優先目的。どうやって伝えようか頭がいっぱいだった。

「わーーー!めっちゃきれい!」
彼女は陽気にはしゃいでいるが、めがねがないのに見えているのだろうか。

「きれいやなぁ…♪」
きれいや、きれいやと彼女は言っているが、僕の耳には彼女の言葉はあまり入らない。

そうして車は頂上に辿り着いた。
「この辺に止めるわ」
「うん」
「本読もうか」
「うん」

「Eye〜26歳僕は世界へ飛び出した」はフォトエッセイなので、ゆっくり読んでも1時間ほどで読める内容。
彼女は一度原稿を見ていたため、30分ほどで読み終えそうな感じだ。

「えー…」
「あー…」
「うー…」

ついにという瞬間に、擬音語ばかりが口から飛び出す。
そうして、とうとうあとがきのページ直前まで読み終えた。

「あーめっちゃええやん!」
「え?まだあんで!!最後最後!!あとがき!」
「あーほんまや♪」

僕にとってなが〜い時間が流れる。
最後のフレーズを読み終えた瞬間、

(よし!今や!)

「あんな、ずっと言おう思うててんけど、
これからもずっと一緒にいてたいから、、、」

「結婚しよ…」

「………」


後編へ続く

 

  「Eye」あとがきについて T                         2006/02/15


「Eye〜26歳僕は世界へ飛び出した」が発売して3ヶ月。
もうご購入頂いた方はご存知と思いますが、あとがきについてのお話をちょっと。

「なんじゃそれ?!これが締めかえ!」
親しい友人からは、本のあとがきに関してはこんな批評をもらう。
実はあとがきに関しては、最後の最後まで訂正を何度も行っている。

今回の原稿は、ほとんど僕が出版社への持込みの企画段階から、ある程度完成していたものである。しかし「あとがき」に関しては、出版が決まってから依頼を受けて作成したのだが、実は出版社の人とも何度も修正・書換えを行った。

そもそも、あとがきと言うのは、僕にとって非常に難しいものだった。起承転結でいうと、「結」の部分。「結」ということは、一番伝えたいことだ。1年という長い旅行期間の締め、また膨大な情報量でもあるホームページ「EYE」の結論。
それを、たった2ページでまとめるなんて…。非常に難しいのである。

色々と考えてみた。
誰が僕の本を読んでくれるのか。
誰に向けて、発信したいのか。

本と言うのは、ホームページのように好きなところだけを、読者が切り取る世界とは違う。最初に開いたページから、徐々に抑揚をつけて、旅をしているかのように楽しませ、僕の気持ちを心に感じてもらい、最後まで読んでもらった人にメッセージを送る。

(万人が納得する無難な締めなのか)
(それとも、本当に僕が伝えたいコアなメッセージなのか)

しかし、今回の「Eye〜26歳僕は世界へ飛び出した」は、「EYEワールド」の上澄みのようなもの。本編とあとがきで温度差が出てしまったら、読者は混乱しないだろうか。何がいいのだろうか。あれこれ考え、依頼を受けて2ヶ月が過ぎる。

「うー、、、どうしよう。。。」
そんなとき、ソフトバンク担当者Iさんからアドバイスをもらった。
「吉村さんが今、単純に思っていること書いたらいいんじゃないですか?」

その言葉で、何かすーっと頭がすっきりした。
旅のことは忘れよう!
今思っていること…。

「せや!2ヶ月前から、ずっとタイミングがなくて言えんかった、
『今の彼女へのプロポーズ』これを機会に伝えよう!」

もちろんその時その案を思いつきはしたのだが、自分勝手、思いっきりプライベート。

「やはり…うーん…」
何度か考え直したのだが、そもそも僕の「EYE」自体が完全プライベートのもの。それならええわ!と開き直ることにした。

そして、最終のあとがきは、この時たった3分ほどでつくられた。
(本を読んでいない方は、ここから先は飛ばして次の「Eyeあとがきについて中編」へ)

 

 


【あとがき】


帰国してから一番よく尋ねられる質問。
「世界一周すると人生観って変わるの?」
そのたびにいつも、僕の頭にぼんやりひとつのことが浮ぶ。

旅にでて、大きく何かが変わったわけではない。
ただ忘れそうになっていたことを、思い出しただけ…。
身近にいる人々、目の前の生活の大切さ…。

帰国してから僕は、ひとつのことを決意した。
「一冊の本をつくろう!自分のことを将来の家族に伝えたい!」

こうして活動を始めて半年が経った頃、僕の目の前に一人の女性が現れた。
彼女はすっと僕のこころに入り、僕はすっと彼女のこころに入った。

「けんじの本、たくさんの人に読んでもらえたらええなぁ」
彼女はいつも僕の夢を応援し、こころから喜んでくれる。

何か素敵な言葉を伝えるわけでもない。
何か特別なことをするわけでもない。
気がつくといつもそばにいて、気がつくといつも彼女を思い出す。

最近、本をつくる目的が変わった。
「目に見えない将来の家族」のためから「目の前の大切な人」のためへ。

えみりへ。
 「Eye」がやっと完成しました。
 お互いおじいちゃんおばあちゃんになっても、
 孫や子供に一緒にこの本を読みたいね。
 2005年9月23日 吉村健二


 


  国語2                                    2005/01/13


旅の最初、中国で綴った僕の日記を読み返すと本当にひどい。
〜〜しました。
〜〜楽しかった。。
〜〜しました。
〜〜楽しかった。。

こんなのが延々と続く。本当の意味での『日記』だ。

旅先では、友人に無理やり(?!)、各国毎の日記を配信していたので、徐々に意識して、読んでもらえるよう努力していたが、 基本的に僕の国語の成績は常に「2」であるため、ひどいものに仕上がっている^^;。
特に旅行記の最初の部分は読むに耐え難いもので、 殆ど帰国してから作り直している。 しかし、それも今読んでみると、まだまだ稚拙な旅行記なので、 実は改めてまた作り直しているのである。(思い出しての制作なのでやはり時間がかかります) 正直、旅行記の公開は恥ずかしいのですが、読んで下さっている方もいるみたいなので、公開しておきます。 よかったらどうぞ。

 

  イスラエルで出会った友達                         2004/12/08


昨日、旅の仲間と再会した。僕は退職してからできるだけ旅先で仲良くなった日本人と会うようにしている。個性的な人が多いからだ。
昨日再会したのは、イスラエルで出会った女性。今はFMでラジオDJをしている元気な子だ。彼女とは5月から会おうと約束していたのだが、 夏は僕が多忙で、秋は彼女が多忙で、ようやくの再会。 2年ぶりということで、さすがに僕は少し緊張していた。
大阪駅中央の高架で約束の時間。彼女に電話をかけると、
「阪神百貨店?わたしもここにいるよ。そこで待ってって」
2年前、旅先で出会った彼女と比べると、女性として、日本で生活をする女の子としてきれいになっていた。
「よっしー久しぶり!なんか雰囲気変わったなー」
「あれ?ほんま?」
最初の一言目はこんな感じだった。
確かに、旅先の写真を見て友人たちは言う。
「旅行ってるときのほうがええ顔してるやん」
「今はしょぼいんかいな?!」
いつも聞き返してみるが、 「いや・・(笑)」といった返事しか返ってこない。 嬉しいやら、嬉しくないやら、どうなんだろうか。 後で彼女からも理由を聞いてみよう。

「うつぼ公園でランチでもしよ♪」
「ええで。ちゅうか、チャリンコで来たん?」
「うん、ここまで40分ぐらい・・」
「運動してるんや。。がんばってるやん^^」
そういえば社会人のとき僕は、23時に帰ってきても 毎日10kmは走っていたのに。 最近どうだろう。

「2けつできるかなぁ」彼女が言う。
「えぇ^^;・・マウンテンバイクやん・・」
「だいじょうぶ、だいじょうぶ」
「せやな」

さすが、1年半の旅で、僕と同じアフリカを回ったつわもの。 そんな楽天的なところが、懐かしくもあり嬉しい。

自転車に乗って、梅田のビジネスマンの横をすり抜ける。
「危な〜い、危な〜い」
声は出しているが、たぶん危ないとも思っていないだろう。明らかに楽しんでいる。

2年ぶりの再会なのに、28歳と29歳、2けつなんかして、なんだか高校生になった気分だ。
「やば〜い!!」
しかし途中からは内股の筋肉がつり、そんな気分でもなかった。

「こっちだっけ?うつぼ公園?」
「いや、こっちのはず・・」
「あー!こっち来てしまった、、ま、いいか、あっち行ってこち曲がったら着くかもね。」

旅先では、僕もいつもこんな感じだった。 時間も気にせず、起きたトラブルを腹立てるのでなく、むしろ歓迎して、楽しみに変えてしまう。僕も彼女もそのあたりはもちろん一緒の感覚なのだろう。寄り道して、迷って笑っていたりする。 この時なんだか旅に戻った気分だった。

うつぼ公園の脇のカフェで僕たちはお茶をする。 彼女には旅の間別れてからも別の旅先で、僕の紀行文を送り続けていた。 無理やり送っていたという表現のほうが正しいだろうが^^;

現地で乱打した稚拙な文章。 200人以上に送り、共感してくれる友達もいれば、全く興味ももたない友達もいた。 別に強要していたわけではなく無理に読んでもらうつもりもなかったが、 彼女は前者に近い感覚で読んでくれていたので、人間的に近い部分かなと思えて、嬉しかった。

今回彼女と出会う前、僕は何度か彼女のラジオを聞いていた。
「うーん。声が違うなぁ。。テンションが高い・・」
しかし出会ってみると、彼女の声はイスラエルの時と変わっていなかった。 表情も序々にあのときのに戻っている気がした。

「あれは作ってるやろ^^」
「もちろんね」

ラジオの声よりも、なんだか目の前の彼女のほうが彼女らしい。博多出身だと言っていた彼女から、時々飛び出す博多弁。この時が一番リラックスしているような気がした。

僕たちは昔話で盛り上がった。
「よっしーのあのとき空気、ほんと重かったがったよね」
「あら^^;ばれてた?」
「だって、この人なんか深く考えながら旅してるなって思ったもん。あんま旅先では出会わない人だったよ。でも、前よりやわらかくなったかも」
変わったというのはそういうことらしい。

旅先で僕は本当に頑固だった。 HPの自己紹介でも書いているが、これだと思ったら、よくも悪くも飲まれていかなかった。今思えば、もっと吸収できたのかもしれない。でも、そんなことがわかったのは帰国してから。初めてのひとり旅でそんなことがわかるはずがない。まぁ、初めてで、1年も行ってしまったのがどうなのか疑問だが。

「今何が一番食べたい?」
「ネパールのダルバール」
「インドのカレーが食いたい!」

日本にこんなにおいしいものがあるのに、どんな高いものよりも、そんな素朴は食べたくなるのはなぜだろう。
「あの空気がいいんだよ。誰と食べてるかってことも」

食事にしても、酒にしても本当にそうだ。この日はカフェの後、おでん屋にもより、久々にけっこう飲んでいたが、 あまり酔っ払うこともなく楽しく過ごせた。 嫌な上司とだと、あんなに酒がまずいのに・・

そういえば彼女は会話中、何度かこんなことを口にしていた。
「この仕事ほんと自分にむいてないかも・・よっしーがうらやましいわ」
「そうかな、おれも逆にうらやましいで。。仕事なってって」

彼女の仕事ってやっぱり難しいはずだ。公に言葉を発することで、色んな人の見方が飛び交うに違いない。僕もこのサイトを立ち上げるのに何を言われているかわからない。もう出来上がった出版の原稿ですら、友達にダメだしされているから。常に自分の信じるしか方法はないのだろう。
「ないものねだりなのかな」 結局彼女からのそんな言葉で話題は終わった。

さて、気がつくと、この日彼女とは8時間近くも話していた。旅の話だけでない、お互いの恋愛、将来、仕事、価値観まで。聞くだけでなく、珍しく自分のことも話していた。旅先で出会った人は色んな変わった人がいる。正直僕と合う人間は少なかったかもしれないが、楽しくできた人とは、どこかなんでも話せてしまう。感じていることが似ているからなのか。大阪に友人が少なく、最近PCに向かっての生活が続いていた。気の許せる友人に久々に出会えて、心が温かくなった1日だった。

 

 

  旅と恋愛                                         2004/12/30


街を歩いているとイリュミネーションがそこら中に。もうすぐクリスマス。ちょっと寂しくなったのもあって(^^;)今回は旅の後日談も含めた僕の恋ばなでも。

HPにあるコンテンツ「MyNote」。僕が旅中で常に助けてもらった、命の次に大事なものであったが、内容を見てくれた人からも好評だ。(実はあと2倍ぐらい内容があるのですが)
何人かの方から質問をもらった。「好きな人からもらったんですか?」

旅の出発前、僕は将来を共にしたいと思えたひとりの女性がいた。その子とは3年程友達で、たまに遊びに行ったりしていた関係。東京を去る日も、最後に彼女と一日過ごして、別れ際に告げた。「帰国後も同じ気持ちなら一緒になりたい」と。そして、その女性からノートを受け取った。

旅先で僕は彼女と何度かメールや葉書のやり取りをしていた。しかし、アフリカに入った辺りからしばらく連絡が来なくなった。そして帰国1ヶ月前になって一通のメールが来た。
「彼氏がいます」
頭真っ白。 これから1週間退屈地獄のシベリア鉄道。僕は死人のようにピクリとも動けなった。形として彼女ではなかった。あの時、「彼女になってくれ」というのは無責任だと思ったからだった。男はそこを押すのか押さないのか。
僕は後者を選んでしまった。いい結果なのか、悪い結果なのか。今でもわからない。ただ、「運命」だったと思う。
残りの1ヶ月は苦しんだが、11ヶ月支えてくれた彼女に感謝をと思うことしかできず。そして、彼女に会うこともなく僕の恋は終わった。さて、実は旅に出る1年前にも、僕は結婚を約束し6年付き合った彼女に振られている。(振られてばっかりやん!(><;))それを機に僕は自分の将来を考え始めたのだ。このままでいいのだろうか。そして守るものがなくなり、転職を機に、昔からの憧れだった旅へ飛び出した。僕の親友たちは言う。
「あれは失恋旅行だ・・」
合っているようなあっていないような^^;だが。
それにしても、別れてもう3年になるが、僕が人生で知り合った友人や元彼女の中で、今でも音信不通になっているのは彼女だけだ。全ての友人、必ず連絡を途絶さないようにしているが、彼女だけは切れたまま。疑問に思い続けることもあったが、もう彼女はもう結婚もしている。守るものができているからだと考えれば仕方がない。たとえ会いたいと思ってくれていたとしても、人間全てを選ぶことなど無理なのだから。何かを捨てないと、一番大事なものは守れないこともある。家族が一番大事なはずだ。

それにしてもこの3年、恋はしているが成就しない。自分で手相をみると、恋愛線が1mmもなかった。
運命は自分で切り開くもの。しかし、恋愛だけは急いでいい結果がでたためしがない。恋愛はするものでない、起きるもの。どこかで見たフレーズ。そっちのほうがしっくりくる。

■#5「孤独」
 孤独は障害ではなく、自分をより深く見つめるいい機会。
 孤独になることから逃げないで、むしろ歓迎しよう。
 自分だけになる世界が必要だから。
 静に心と体を休め、素顔の自分に触れ、
 自分を立て直す時間とスペースが必要だから。

もう立て直したやん!いつまで待つね〜ん!(^^;)

 

 

  日本で出会ったアフガニスタン人                    2004/12/08


先日、パキスタンでの旅の友だちMさんとYさんを通じて、アフガニスタンの復興再活性を行う団体の会長Sさんと話し合う機会があった。SさんはNHKや筑紫哲也等の報道番組に出演するぐらいのアフガンのキーマンでもあり、年に2度本国へ戻る際はガードを立てるぐらいの人物だ。

「僕の兄弟は全員、米軍の爆撃で死んだよ」
そんな言葉からSさんの話は始まった。
「日本ではイラクや北朝鮮で話題が持ち切りだけど、アフガニスタンの状況は最悪。現在人口の半分が難民と化し、国は崩壊状況。カルザイはブッシュが大半の資本を握るオイル会社元社員で、米国が政権を殆ど掌握していて、実質植民地状態だ」

初対面だったが、出だしからSさんの表情は高潮していた。
「熱くなってしまってごめんなさい」
Sさんの声のトーン、そして高潮しながらも寄せる顔のしわは、僕には想像もつかない人生をを背負ってきたのであろう。出会って間もないが、、言葉を発する度にこの人の懐の大きさを感じることができる。

Sさんはもう20年以上日本に住んでいて、大学で消化器に関する研究を行うお医者さんだ。もちろん言葉だけでなく、日本の文化にも精通している。、
「だめですよ・・豆腐は後から。。春菊は最後ですよ。アフガンの春菊は日本のよりも、味がしっかりしてるんだから、一度食べてほしいな」
そして日本人の僕たちよりもしっかり鍋奉行。

さて、しばらくしてから僕たちの話はお約束のように9.11の話題となった。
「君たちはあれが本当に、オサマがやったと思うのか?あれだけ最高水準の軍部を持つ米国にあんなことができるはずがないだろう。米軍の歴史を思い出してごらん。私の国も、ベトナムも、復興という大義名分の裏で、最初に一体誰が破壊したんだ!」

戦争が経済復興となるのは周知のこと。9.11のテロもその一環なのだろうか。
「自作自演・・」
僕が尋ねると、Sさんは大きくうなずいた。

「アメリカの病院でこんな事故があったんです。ある病気が院内で蔓延し始めた。原因はわからない。でも、症状は似ている。調査の結果わかりました。ある人物が患者に毒物を投与してました。その人物は、毒物による症状を治癒する薬の会社の社員でした」

アメリカという国は、インデアンの大虐殺を始め、フロンティアという名のもとに文化を破壊し続けてきた歴史をもつ。第二次大戦に関しても、開戦、終戦、原爆どれをとっても、全て彼らのが日本へ圧力をかけた結果であり、シナリオどおりの歴史が作られてきた。。

「アラファトさんはどう思いますか?」
Sさんは話の途中でそんな話題を持ち出した。
「あれも米軍に殺されたんですよ」
僕は彼が病床でなくなったとき、正直そっちの可能性のほうが高いのではないかとは思っていた。どれほど歴史上、貴重な人物が裏で暗殺されただろうか。

Sさんは話を続ける。
「私は遺伝子学も勉強しているが、遺伝には先天的なものの中で、人間の体質、性格だけでなく、それまでの染み付いた文化も遺伝子に刷り込まれるということが、医学上発見されているんだ。あの国の人間は建国以来、そういった遺伝子を持っている。米国の85%が戦争を支持しているんだからね。信じられるわけがない」

もともと生まれ持った遺伝子。昨年大ヒットした「バカの壁」は、人間を一元論で片付けるバカを戦争、宗教、科学、経済等を脳構造に当てはめて縦横無尽に斬った作品だった。
「人間というものは、結局自分の脳に入ることしか理解できない」
Sさんが言う話は遺伝子上の問題だから、それよりも更に平和とは程遠い話になる。

鍋を食べ終わった頃、僕はSさんに尋ねた。
「今のアフガンで危惧していることは?」
「完全な植民地化になってしまわないかが心配だ、、、戦後の日本のようにね…」

日本は戦後米軍の植民地と化している。米軍はアジアのベース基地となり、年間1兆円もの援助を渡し、ヘリの事故が起きても警察に捜査をす権限はない。バブル後は、グローバルスタンダードといった文句を皮切りに銀行を含めた外資参入、そして資本を搾されてきた。Sさんも同じことを口にする。

「今、アフガニスタンは10年前に比べて気温が9度上がってます。土地を追われ、作物が育たず、農業が壊滅的となり、光合成ができず、雨が降らず、土地は枯れ果ててます。だれがこんな国にしたのでしょう。復興するのに、あと何年かかるのでしょう!」

再びSさんの表情が変わり始めた。
「これ以上君たちの前で、汚い言葉を言いたくないんだが、申し訳ない。私はどうしても許せないんだ」

日本のマスコミは政府を通じて全て米国に掌握されている。アフガンの情報は何も入らない。アフガンには驚くほど水がないらしい。Sさんは日本で大量に水を使うほど躊躇することはないと言う。

何千年人類が住み続き、耕し続いてきた王国をあの国はたった25年で滅ぼしてしましまった。そして、今ターゲットとなっている「イラク」もブッシュ再選によってこのまま同じ運命をたどるのだろうか。

「テロの定義って何ですか?」
Sさんが僕たちに尋ねた。 『政治目的の暴力・脅威』辞書にはこう載っている。
「今、アフガニスタン人の人々にとって、政治目的の脅威はだれですか?」
僕たちは、言葉がでななかった。

藤原紀香が最近、アフガンのために、アフガンの子供たちの瞳を。そんなキャチフレーズで写真集を出した。
「あれは私たちをばかにしてますよ」Sさんは言う。
彼の言葉に僕はふと思い出した。僕が旅に行って、感じたひとつの大きなこと。
「我々が彼等に対して、『やってあげてる』という意識ほど、差別を生む問題はない」
同じ人間なんです。我々が助けてあげる。それこそ、今のブッシュの考えに下手すれば似通う危険な思想。
選民思想。僕がどうしてもボランティアに馴染めないのはそこにある。同じ人間。同じ人間。何も変わらない同じ人間なのに。

さて、3時間以上ひとりで話し続けていたSさんは最後に僕たちにこう言ってくれた。
「歴史上、起源も含めて文化の基礎を作ってきたのは、全てアジア人です。文字、数学、地理etc・・人間にとって大事なことに、欧米人がつくったものなんて何もない。作ったのは虐殺と侵略だけです。自力での復興は先が見えない。でも、私たち自身が教育からやらないと何もみえないのです」

アジア人が、そして日本人がこれから世界を支えていかなくてはいけない。この日ぼんやり心に感じていたこと全てSさんに言われた。しかし、彼の前で気軽に共感したとなんて、おこがましくて言えない。終始僕にはうなずくか、質問をすることしかできなかった。世の中の問題は一体どれが事実なのだろう。もちろんSさんが言うことも全てが事実であるわけはない。全てを把握することは不可能だ。しかし確実にいえることは、アフガニスタンでの25年間、Sさんは日本のメディアと自分の祖国での情報のギャップを感じ続けてきた。そのことだけは、僕の胸にしっかり刻みこまれた。

 

 

  馬をもらった友達                                2004/12/02


旅先で知り合った友人で、帰国後会える人は少ない。多くが地方の人ばかりだからだ。南は九州、北は北海道。いや、まだ旅にでている者も含めばほとんどがばらばらだ。この中で出身が同じ大阪、よく顔を合わす仲間がいる。現在大阪外大にて勉学と共に写真の趣味をもつI君。彼もまた僕が大切にする仲間の一人だ。
彼の経歴がおもしろい。大学中退後1年ほどヨーロッパメインの旅にでかけるが、帰国後は再び大学受験をしなおし、今は英語はもちろんのことアラビア語、フランス語、モンゴル語を使いこなす。旅中ではモロッコで殺人詐欺に遭いかけているツワモノだ。彼にはいつも刺激を受ける。今回UMIGOYAの写真展を開催したのも、実は彼が7月に開催した大学サークルの写真展を見学した時の影響が強かったかもしれない。僕たちがモンゴルとで出会ったときのこと。
「ケンジさん、どっか観光するんですか?」
「モンゴル人の友達がいてな、ウンドゥルシレットというとこに来週行くねん」
「えっ!まじっすか?僕もそこに行きたかったんですよ!椎名まことの白い馬って知ってます?そこの舞台なんですよ」
「そうなんや・・ほんだら一緒に行けるかオドコに聞いてみるわ」
そして僕たちはウンドゥルシレットでの生活を一緒に楽しんだ。
帰国後も僕たちはモンゴルの話がいつもメインだ。どうやらお互いモンゴルの経験が強烈に残っているのだろう。
「ケンジさん、今年の夏もう一回モンゴル行ってみようと思うんですよ」
そんな彼の言葉を聞いたのは今年の6月。そして実際彼は9月に旅立ち、帰国後再び僕たちは大阪で出会った。
「ケンジさん!行ってきましたよ!モンゴル!」
「ほんまに行ってきたんや。9月寒なかったか?」
「氷点下ですよ」
モンゴルの草原は6月〜8月が精一杯だ。もうその他の季節になると草は枯れだして、あの心地よい景色はない。
「オドコさんが是非冬のモンゴルも来てくださいって言ってたでしょ」
「言うてたな・・ほんでも、真冬やと−40℃やで。ありえへんわ・・」
僕は彼が撮った写真を見ながら沢山話を聞きだしていた。
「ダフガンとデジェーはどうやった?元気やったか?」
「もうダフガンはでかくなりましたよ。デジェーはガキ大将ですね」
写真の顔つきを見ているとその様子がうかがえる。
「たしかオドコはザガさんと結婚したんやんね。」
「そうなんですよ。今は草原で生活してますよ。大変みたいだけど」
オドコからは何度かメールが来ていた。仕事との両立を悩んだ挙句、ザガの為に草原生活を選んだらしい。一度は、ウランバートルへザガを連れて行ったのだが、彼はどんどん元気がなくなっていったそうだ。ウンドゥルシレットで「暴れ者」として名の知れたザガでも、環境が変わったことは大きなストレスを抱えたのだろう。
「オドコさんの子供かわいかったですよ。」
「そうなんや、子供もいるんや」
「でも町に戻りたいって言ってましたよ」
いくらモンゴル人とはいえ、オドコも27年間、町の人間。やはり環境に適応するとうのは難しいことだ。しかも、先が見えないまでの生活になるのだから。

「ケンジさん、そういえば、大変だったんですよ。僕・・体調を崩して・・」
「どうしたん?」
「水が悪かったみたいです。ウンドゥルシレットに行ってからすぐ。熱ででて、4日ぐらいで町に戻りました。」
前回長旅をしていたとき何もなかったI君は、今回少し油断していたのだろう。確かに突然異国の水を飲んでしまうと、ほとんどの人間はおかしくなる。直接でなくても、たいてい食べ物には水分が混じっているので、水を飲もうが飲まなかろうが関係ない。アフリカで生水を飲んでも大丈夫だった僕も、東南アジアでは毎日下痢で苦労したのを思いだした。

「ケンジさん。そういえば僕、馬もらったんですよ!」
「馬もらった?」
「僕、馬主ですよ!馬主!、ちょうど旅先で僕の誕生日むかえたんで、ザガさんが一頭くれたんですよ!今日からお前の馬だって」
写真を見ると立派な馬が写っている。
「帰国後メールで『去勢するか』って聞かれたんですが、男だからかわいそうで、種馬にしてくれって言っときました」
「ええなぁ。おれも誕生日に絶対行こうっと」
「ケンジさん誕生日いつですか?」
「2月」
「・・・・・」

I君からはいい話も沢山あったが、あまり聞きたくない話もあった。
「今回再訪したんですけどね、盗難にあったり、お腹こわしたり、あの時お世話になったトゥーラさん不倫して大変だって」
オドコも昨年、日本人留学生に冤罪をかぶせられて一度留置所に入れられていたと言う。
日本で特集するモンゴルの話題は、失業、治安悪化、産業低下ばかり。あまりいい印象はないかもしれない。
「旅って一過性のもんだからいいとこばかり見えるんですかね」
「せやなぁ、どこの世界もうち入っていったらどろどろしてるんやろな」

あのときの旅はいいとこどりだけの「旅」だったのだろうか、I君と話していて、僕はちょっと寂しくなってしまったが、オドコが元気なのを聞いて、やはりまたモンゴルへ行きたくなった。いつ旅たとうか、もちろんまだ目処はつかないが。

 

 

  旅の仲間                                 2004/11/01


先日、大阪市内で旅の仲間が出会う機会があった。
「旅先知り合った仲間同士のイベントをするので来てください」
久々の旅仲間の再会だったので、僕は楽しみに足を運ばせることにした。

南アフリカで知り合ったY君は、サッカーと自然が大好きで、写真を撮りにいく旅をしていた。飾っていた数々の風景画は感動すべきものばかり。
「ほんとこんなとこ行ったん?」
45ヶ国もまわった僕が言うのもなんやけど、彼も僕と同じルートで回ったツワモノ(しかも南米も行っている!)
僕はイベント中、彼にそんなことを聞きっぱなしだ。

お互いの話は昔話で盛り上がり、アルバムを見ているとき、一冊の違ったファイルがあった。写真ではなかったので僕がすぐに閉じようとすると、
「おい!おい!見てや〜」
「え〜おもろないもん」
「そやねん、誰も見てくれへんねん」

そいうって彼が渡してくれたアルバムは「世界のお札アルバム」。僕は一応自分の行った国々の切手があったので、懐かしいながら見ていたのだが、確かによっぽどでないと誰も見ないだろう、他人の趣味のコレクションなんて。しかも、最後に切手の収集もあったが、彼の希望に反して僕は見てみないふりをしておいた。僕の写真も、見てみないふりされていたら悲しい(笑)

さて、この会場でひとつ驚くべき再会があった。会場には企画者の仲間がたくさん来ており、その中の一人にT兄さんがいた。何の約束もしていなかったのだが偶然での再会。彼とはモンゴルで出会っており、個性的な人間だったからよく覚えていた。モンゴルで「馬を買って、馬と共にゴビ砂漠を渡りたい」と言って別れたのT兄さん。再会して話を聞いてみると、実際に馬を300$で買って、砂漠横断に挑戦したらしい。しかも、その馬が駄馬で失敗した後に、パキスタンで再びロバを購入して、旅を続けたという。
「一日30kmしか進まなくて大変だったよ〜」
「インドのワガ国境でロバの許可が下りず、残念だったけど売っちゃったよ」
「鈴をつけておしゃれさせていたんだけどね、これまたかわいくて・・」

宿ではどこか草がありそうなところに鎖をつないで、育てていたらしい。僕はこのイベント日に、一応自分のお気に入りの写真を200枚ぐらい持っていっていたのだが、彼も写真を持ってきていた。ロバやら馬やらが写っており、 「みんな、さーっと見てしまうんだよ。本当はすごいエピソードがあるんだけどなぁ。誰も聞いてくれないんだ(笑)」。確かに決していい写真とは言えないのだが、その一枚一枚の写真には奥深い体験がある。それにしても、表現するってのは難しい。こんな面白い人がいるのに、黙っていれば誰も気づかないんだから。

さて、T兄ちゃんは1ヶ月前に帰国したばかりで。って僕が帰国したのが1年前で、、出会ったのがその半年前、、もうすでに彼は4年以上旅している計算だ。恐るべし。そして今回実家の北海道へ帰るにあたって、自転車で帰るとのこと。
「友達から自転車もらって、ホームセンターで改造したんだよ」
この季節、ママチャリ並みな自転車で、T兄ちゃんは北海道へと向かう。

「日本も結構あったかいな。道の駅でけっこうみんな食べ物くれたよ」
しばらく、日本で生活していた僕はそんな感覚をもう忘れていた。確かに旅しているときはそんなスタイルだったな。 「このちゃりんこ名前あるん?」僕が尋ねると、 「ちゃりんこがぼろいので、知らんおっちゃんに『ホームレス1号』ってつけられた」衣装ケース前後に固定しているこのちゃりんこの姿は確かにホームレス一号の名にふさわしい。

イベントに来ていたもう一人の女の子(旅仲間)が言った。
「ヒッチして帰れば?日本は高いし、乗せてくれるよ」
しばらくそんな感覚を忘れていたのだが、僕もそんな旅人だった。 どうして日本にいるとすぐ恥じらいを気にしてしまうのだろう。恥じの文化国「日本」。
僕はすぐ環境適応してしまうので、もう日本の生活が馴染んでしまっているが、この感覚が、この時たまらなく嬉しかった。