フェードインする恋心 1
理由も分からず、からまれて。
望んでもいないのに正体を明かされ、秘密を共有させられた。
皆が憧れるプリンスは、私の前で別人だ。
「、今日は付き合ってくれるよね。
馴染みの楽器店に頼んであったものが届いたんだ。」
「勝手に名前を呼び捨てにしないでください。
だいたいですね、柚木先輩とは何の関係もないんですから。」
「なに言ってるんだい、俺たちは戦友。
もう少し色っぽい呼び方をすれば、お前は愛人みたいなものだ。」
はぁ?
思いっきり不満げな顔で柚木先輩を見てしまったらしい。
途端に意地の悪い笑顔を浮かべた先輩は、嫌味なくらい落ち着いた素敵な声で言った。
「そうだよ、は愛人がいい。よろしくね、愛人さん。」
この人、絶対に私をからかって遊んでる!
敬語を使いながらも言いたい放題文句を言って帰ってきた。
後ろで楽しそうな先輩の笑い声が聞こえるのも腹立たしく、これで気は済んだのだろうと思っていた。
なのに・・・
「、今日も平凡だけど可愛いね。」
言葉と共に髪をすくわれ口づけられる。
物語に出てくる王子様のような仕草に、ベンチから腰を浮かしそうになった。
「平凡に可愛いって何ですか?!」
「ツッコミどころは、そこかい?言葉の通り。平凡だが、それも見ようによっては可愛いかもってこと。」
それ、褒め言葉じゃないですって。
「何を見てるんだい?ああ、新しい曲か。う〜ん、今のお前じゃ難しいんじゃないか?」
「分かってます。でも、土浦君が一緒にって無理矢理・・・っていうか離れてください。」
膝に開いた楽譜をベンチの後ろから覗き込む柚木先輩の顔は、私の頬に触れそうなほど近い。
吐息さえ感じられそうな距離と、先輩から香る上品な匂いにクラクラしてきた。
「ふうん、土浦ね。」
耳元で呟いたかと思えば、突然頬に柔らかな感触が押し付けられた。
それが柚木先輩の唇だと分かった途端、体中が沸騰して楽譜が膝から落ちる。
頬をおさえてベンチから飛び逃げた私を見て、先輩は声をたてて笑った。
「な、なにするんですかっ!」
「別の男の名前なんか出すからさ。お前、俺の愛人だって立場を分かってないな。」
「だから愛人になんてなった覚えはありません!」
「あれ?この前、言わなかったっけ。とにかくお前は俺の愛人だと決めたから。」
「勝手に決めないでください。」
「いいじゃないか。愛人も楽しいと思うけど?愛人には優しくするよ、俺。」
「結構です!」
人の話を聞かない柚木先輩は、爽やかに笑って取り合わなかった。
そして柚木先輩は私を愛人と呼び、言葉どおりに行動し始めたのだった。
朝は驚くほど早くに黒いベンツが家の前へ迎えに来るようになった。
中で待っているのは当然のごとく柚木先輩だ。
「遅いぞ。」
「おはようございます。すみません、知らないうちに目覚ましを止めちゃってて。」
謝ってから、そういえば迎えに来てと頼んだわけじゃないと思いあたり自己嫌悪に陥る。
「お前、髪もろくに梳いてないだろう?愛人失格だな。」
「・・・愛人じゃないですから。」
女のコとしては失格でしょうけど。
きまりが悪く手ぐしで髪を梳かせば、胸のポケットからクシを出してきた先輩が自ら梳いてくれる。
「い、いいです。私もクシぐらい持ってますから。」
「じっとして。髪を傷めてしまう。」
ひと睨みされて小さくなっていると、先輩は上機嫌で私の髪を梳き始める。
暖かな朝陽が差し込む車内と誰かに髪を梳いてもらう気持ちよさに、つい目を閉じてしまう。
はじめは運転手さんが気になって緊張していたが、この心地よさには逆らえない。
ぼんやりと車の揺れに身を任せていると、肩にまわされる手と髪に落ちてくる感触。
悲鳴を飲み込んで体を離した時には、もう遅い。
今日も髪にキスされてしまったことを知り、自分の学習能力のなさに溜息が出た。
柚木先輩に用事がない限り、繰り返される送り迎え。
目をつけられるのも可哀想だからと、生徒達が少ない路地で乗り降りさせてくれるし、雨の日なんかは正直助かってる。
車内では、音楽に対する知識が足りない私に色々と教えてくれることも多くてためになる。
ただひとつ。
いちいち髪にキスしてきたり手を握ったりと、先輩が過剰に接触してくるのが悩みだ。
今日も別れ際、腕を引っ張られてバランスを崩したところで額にキスされた。
運転手さんに見られたのではと焦る私をよそに先輩は余裕の笑顔だ。
「み、見られますよ。」
熱くなる頬を抑えて手を振り払えば、可笑しそうに先輩が笑う。
「、心配するところがズレてるだろう?まぁ、そこがいいんだけどね。
平気だよ。彼は見ざる、聞かざる、喋らずだよ。
それより額のキスは解禁か・・・そろそろ唇にいってもいいかな。」
「だ、駄目に決まってるでしょう!?」
「いいじゃないか、お前は愛人なんだし。そういうのも込みで『愛人』だよ。」
「だ・か・ら、愛人じゃないですって!
愛人がいるなら、本命の恋人だっているんじゃないんですか?そちらにお願いしてください!」
咄嗟に出た言葉だった。
深く考えたわけじゃなく、愛人がいるのなら本命の奥さん・・・というか恋人がいるだろうと。
柚木先輩は笑顔だった。
でもそれは普段の私に見せる意地悪な笑顔でも、屈託なく面白がる笑顔でもなかった。
学内で見る、いつもの完璧に作った笑顔。
「結婚を誓い合った恋人はいるよ。
その人とは、これから先もずっとキスから何からしなきゃいけないからね。
だからいいんだ。今は愛人から貰うキスの方が欲しいんだよ。」
私は先輩の作り笑いを呆然と見つめるしかなかった。
フェードインする恋心1
2007/11/19
フェードインする恋心
ザコは相手にしないプライド
リードする時は、いつもさりげなく
キスして良いのは貴方だけ
スルーされた告白の行方
お題 キミにうたう「すき」のうた 様より
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