心恋(うらこい) 〜最終話〜










覚悟をしていたつもりだった。
今日か明日かと終わる恋に怯えながらも、最後は笑顔で別れを受け入れようと思っていた。
でもね、覚悟なんか本当に脆いものだった。


火原先輩に出版社が主催するパーティーに誘われて、少し迷った。
けれど有名なヴィオリニストが招かれていると聞いて、
そのために誘ってくれた火原先輩の好意を裏切りたくないと思ったの。


妬くことなどないと知りながらも、柚木先輩にメールをした。
けれど最近は忙しそうな先輩からの返事は遅れたうえに『行けばいい』の簡単な返事だった。
詳しくパーティーの事を知らせたわけじゃないのだけれど、ひょっとして私が来るのを知っていて婚約者と共に来たのかな。


ううん、違う。
私を見た時、柚木先輩の瞳が大きくなった。
一瞬だったけど動揺したように見えた。
私の望みが見せた幻なのかもしれないけれど、彼はあの場所を別れの場面として選んだんじゃないと思う。
偶然だったのだ、多分。


火原先輩が近くに居て良かった。
じゃないと冷静に立っていられなかったかもしれない。


ちゃんと笑えていたつもり。
大丈夫、うん。



ちゃん、知ってたの?柚木・・・本当にあれでいいの?」



何度も火原先輩が私に問う。



え?私と柚木先輩は何もないですよ。
あの若さで婚約なんて、スゴイですね。パーティー楽しみだな。



心の中では上手いセリフが浮かんでるのに、どうしても言葉が口から出てくれない。
唇を開いては閉じ、どうしようもなくて情けなく微笑むしかなかった。



「もう帰ろう、送るよ。」



私は首を横に振った。
この空間に柚木先輩がいるのは恋しくもあり、たまらない痛みだ。
けれど・・・それが私の選んだ恋だった。



「せっかくヴィオリンを聴きに来たんですから。」
「俺の事はいいんだ。気を遣わなくても、」


「違いますよ。せっかく楽しみにして来たんですもの。」
ちゃん・・・」



ヴィオリンを聴きながら、柚木先輩と出会ってからの事を思い出していた。


綺麗な人だった。
ふと見せる寂しそうな目、意地悪な言葉と甘い言葉が囁かれる形の整った唇、触れるとくすぐったい長い髪。
大事な言葉はくれなかったけれど、
合わせた胸から聞こえてくる穏やかな鼓動と温かな手が確かに気持ちを伝えてくれていたの。



ああ・・・本当に好きだった。



いい恋をしたと、心に納得させようとする。
だけど最後に奏でられた『愛のあいさつ』に涙は止まらなくなってしまった。


コンクールの後、柚木先輩のためだけに弾いた曲だ。
あれから後も柚木先輩は不意に「アレが聴きたい」と言って、私に弾かせた。


何度弾いただろう。
その度に満足げに微笑んでくれた。


いい恋だったと片付けられる恋じゃなかった。
私には今の全てをかけても代えられるほど大事な恋だったのだ。



火原先輩は何も言わなかった。
会場のざわめきに紛れて私を外へ連れ出すと背中に温かな手を添えて歩いてくれた。


家の前まで一言も話さなかった火原先輩。
その先輩が門の前で突然口にした言葉。



「俺さ、その・・ずっと前から・・ちゃんが好きだ。
 こんな時に言うのも卑怯かと思ったけど、こんな時だから言ったほうがいいと思った。ちゃんは・・俺じゃ、駄目?」


「あ・・私、」



こんな時に想いを告げられるとは思ってもいなかった。
向けられる感情を知りながら、告白されないのをいいことに甘えていた私。
そんな後悔と戸惑いに言葉が出ない。


すると、火原先輩はフッと瞳を和らげて頭をかいた。



「やっぱり柚木じゃないと駄目か。
 ちゃん、コンクールの時からずっと柚木を見てきたもんね。
 えっと、一、二の・・・もう三年?俺の片想いと一緒だ。」


「火原先輩・・・」


「俺、臆病者で言えなかった。今のちゃんとの関係を壊したくなくてさ。
 それに俺にとって柚木はちゃんに負けないくらい大事な友達だしね。

 俺ってこんな性格だから友達多いけどさ、本当に大事なことって人に言えないんだ。
 けどね、柚木はいつも先回りして俺の悩みとか考えてることに気づいて助けてくれた。
 多分・・・俺がちゃんを好きなのだって知ってたと思う。
 知ってて何も言わずにいたのも柚木なりの俺に対する遠慮だったと思うんだ。」



柚木先輩が火原先輩を大事にしているのは知っていた。
火原先輩にとっても柚木先輩が大事な人だった。
よかった、素直にそう思う。


私も火原先輩が好きだ。
でも私の『好き』と火原先輩の『好き』が違うことは、どうしようもない。


切なくて涙が溢れてきた。



「ね、ちゃん。今の俺だから言うね。
 何もしないで諦めるのって、よくないよ。
 柚木と正面から向き合ってみたほうがいい。
 それからでも諦めるって遅くないと思うんだ。」



ありがとうございます。
そして、ごめんなさい。本当にごめんなさい。



繰り返す私の頭を火原先輩がポンポンと撫でてくれた。
先輩の手は、やっぱり温かくて優しい手だった。



その夜、もう私が泣くことはなかった。
泣くのは後でもできる。


もう一度、柚木先輩と話してみよう。


押しつぶされそうな感情に眠れない夜を過ごし、翌朝を迎えた。





メールを打っては消しを繰り返す。
直接話そうかと履歴を呼び出してはクリアする。
そんなことばかりを繰り返し、あっという間に午後になってしまった。
食事もろくに喉を通らない。


ただ怖かった。


冷たく「済んだことだ」と言われてしまったら?
迷惑そうにされたなら、もう二度と柚木先輩の前には立てない。
このままでも後輩という立場で時には話せるかもしれないのに、それさえ出来なくなってしまう。


綺麗に別れることで、先輩の記憶にずっと残りたいと思っていた。
みっともなく泣いて縋ることはしないでいようと思っていたのに、会ってしまったら泣いてしまう。
きっと柚木先輩の胸に縋って『好きだ』と言ってしまう。


嫌われるのが何より怖い。



そうして時間ばかりが過ぎていった。





「これで・・いいかな。」


やっと打った短いメールを読み直し、一つ息を吐いた。
気持ちが萎えそうになるたび、昨夜の火原先輩を思い出して文字を打ち込んだ。



もう一度、会っていただけませんか。
どうしてもお話がしたいんです。
そうしないと私は前に進めない気がして・・・お願いします。



これに返信が来なかった時には諦めよう。
もしも会えた時には、正直な気持ちを伝えよう。


とても好きなこと。
ずっと傍に居て欲しいこと。


多分・・・答えは『ノー』だと思う。
それでも面と向かって答えを貰うことが大事なんだ。


火原先輩が嘘のない笑顔で「ありがとう、スッキリした!」と言ってくれたように。



息を止めるようにして送信のボタンを押した瞬間、玄関のインターフォンがなった。
今日は誰も居ないし自分が出るしかない。
だがメールを送信したばかりの私は立ち上がる気力がなかった。
なのにインターフォンは続けて何度も鳴らされた。



仕方なく疲れきった体を叱咤し下へ向かう。
居間のカメラを確認もせず、ぼんやりとした頭で玄関のドアを開けた。



「遅いぞ。居るなら居るで、早く出ろ。」



言葉も出ない。
目の前には携帯を片手にした待ち人が立っていた。



「なんだ、その顔。会いたいと言うから来てやったのに。」



柚木先輩は携帯の画面に目を落としてから、パチンと閉じた。
メールはさっき送ったばかり、ここに柚木先輩が居ることが信じられない。



それに、



「先輩、その顔・・・」



柚木先輩の頬は赤く腫れ、唇の端が少し切れていた。
ああ、これ?と、なんでもないように頬に触れて少し顔をしかめる。



「火原に殴られたうえに、お祖母様にまで叩かれてね。
 二人して同じ頬を叩くものだから、このザマさ。まぁ両方腫れるよりはマシか。」


「どうして・・・」



思考が追いつかない私に柚木先輩はいつもの笑顔を見せた。



。俺は決められた人生にあらがってみることにした。
 お前にも迷惑をかけるだろうけど、こんな男を好きになったのが運のつきだと思って諦めろ。」


「ど・・どういう意味ですか?」



これは都合よく考えすぎなのだろうか。
混乱する頭と裏腹に胸の鼓動が高鳴り始める。



「これをやるよ。」



柚木先輩がポケットから小さな箱を取り出した。
目の前で簡単に開かれて差し出された箱には、一粒のダイヤモンドが輝くシンプルな指輪が納まっていた。



「う・・そ・」


「この先、いつ柚木の家から放り出されるとも分からない。
 それはそれでいいんだが、そうなるとこんな贅沢も出来ないからな。
 最初で最後の贈り物かもしれないから大事にしろよ。」



柚木先輩はぶっきら棒に言うと、ジッと私を見た。
信じられなくて手なんか出せない私に焦れたのか、大げさに溜息をつくと箱から指輪を引き抜く。



「左手、出せよ。」
「本当に・・?」


「ああ。ただし苦労するぞ、いいのか?」



ウンと頷いて、おずおずと左手を差し出した。
柚木先輩が傍にいてくれるのなら、なんだって乗り越えられるもの。



「馬鹿なヤツだな。」



言葉は乱暴なのに手つきはとても優しく、恭しいほど丁寧に薬指に指輪をはめる柚木先輩が瞳を細めた。



「思ったとおりだ。お前には、こういうのが似合う。」
「・・・ありがとうございます。」


「受け取ったからには逃げられないぞ。」
「逃げませんよ。」


「一生かもしれないぞ?」
「・・喜んで。」


「馬鹿。」



溢れてくる涙を柚木先輩の長い指がすくってくれる。
どちらからともなく、お互いが求め合うように抱きあった。



「ずっと、愛していた。」



心の底から囁かれる恋人の言葉に頷く。
やっと本当の言葉が聞けた。



もう決して離れはしないの。




















心恋  

2007.05.17 


当シリーズ、長くお付き合い頂きありがとうございました。 

          花木かや



















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