譲れない気持ち 〜後編〜










「ご学友の火原様が訊ねていらっしゃってますけど・・・」



来たかと思った。
昨日の今日というのが火原らしい。


俺はダメージから回復できていなくて、今日は上手に『柚木梓馬』を演じる自信がなかった。
だが家の者が奥へ知らせに来た時点で家にいる事はバレてしまっている。
具合が悪いとでも言って帰ってもらうかとも考えたが、火原に嘘はつきたくなかった。



長い廊下で笑顔を作り、深呼吸をしてから玄関に出た。
火原は玄関で靴も脱がずに立っている。



「やぁ、どうしたの?上がれば?」
「いい。話があるから、外に出たいんだ。」


「外?」
「ここじゃ出来ない。」



怒ったような表情の火原が俺を見上げて言う。
確かに声が大きい火原に感情的になられては場所が悪い。
俺は家人に声をかけ、上着も羽織らずに靴を履いた。


外は秋の街。
街路樹も色を変え、一枚二枚と紅葉した葉が目の前に落ちていく。
外へ出てから火原は一言も喋らずに黙々と歩いている。
その足は少し離れた場所にある公園へと向かっていた。



「ゴメン。急かしたから、上着をきてこなかったね。」



シャツ一枚の体の中を風が通り抜けていく。
意識せず腕を擦っていたら、前を向いたままで火原がポツリと呟いた。
こんな時にまで俺の心配をしている火原に笑みが零れた。



「大丈夫だよ。」
「俺の上着で良かったら・・」


「いいよ。平気だから。」
「でも・・・顔色が悪いよ。」



火原が視線だけ俺に向けた。
俺の浮かべてた作り笑いが消える。



「柚木、すごく辛そうだ。」










柚木さ、俺のこと何にも分からない馬鹿だって思ってただろ?
火原が空を見上げながら言った。


ああ、そうだよ。
今の今まで、そう信じて疑ってなかった。
俺もまだまだ、だ。


知ってて知らないフリが出来るほど、お前が大人なんだと気付きもしなかった。



火原が俺に温かい缶コーヒーを買ってくれた。
缶コーヒーは好みではないのだけど、火原は自分がイイと思ったものを迷わず人に与えようとする。
俺たちは枯葉が舞うベンチに腰をおろし、缶コーヒーで手のひらを温めた。



ちゃん、どうするの?」
「彼女が何か火原に話したの?」


「柚木って、いつもそうだ。俺が質問しているのに質問で返してきて、はぐらかす。
 今まではそれでもよかった。
 でも今回は駄目だよ。

 ちゃんは俺に何も言わない。
 ただ、昨日のヴィオリン聴いて・・・最後に泣いてた。」


「・・そう。」



見ていないのにが涙する横顔が目に浮かぶ。
胸が押しつぶされそうな痛みに軋むけど、俺は缶コーヒーを強く握ることで耐えた。



ちゃんが柚木のこと好きなのは、ずっと前から知ってたんだ。
 まぁ・・柚木を好きにならない女の子なんていないだろうし、それは仕方ないかって思ってた。
 でも、柚木もちゃんが好きなんだってことに気付いたのも最近のことじゃないよ。

 俺がちゃんの姿を目で追うのと同じように、柚木の目もちゃんを追ってた。
 一番納得したのはね、ちゃんの前で吹く柚木の音は本当に優しかった。
 だから俺、柚木とちゃんは両想いなんだと思ってた。」





ピピピ・・と頭元を名前も知らない鳥が飛んでいく。
自由な鳥は何所へ飛んでいくのかと目で追いかけて見失った。



「どうして?なんでちゃんじゃない人と婚約なんてするんだよ?
 柚木はその女の人が好きなのか?とてもじゃないけど、俺にはそう見えなかった。」



乾いた笑い声を上げてしまった。
肩を揺らして笑い始めた俺に火原が声を荒げる。



「柚木!」
「ゴメン、ゴメン。なんかもう笑うしかなくてね。僕は今まで火原の何を見てきたんだろうってね。」


「俺は変わらないよ。
 ちゃんと俺を見てなかったのは柚木だ。
 そして本当の自分を見せようとしなかったのも柚木だよ!」


「そうだね、その通りだ。
 本当の僕なんか見せたら、火原はこんなにも長く傍にいてはくれなかったよ。」


「俺は何がどうなったって柚木を嫌いになんかならないよ!」



ベンチに置いた火原の缶コーヒーが落ちて土に吸い込まれていく。
俺は火原に肩をつかまれ、ますます笑いが止まらなくなってしまった。


ああ、もういい。何もかも、どうでもいい。
何ひとつ真実は俺の手元に残りはしない。
大事なものは守ろうとすればするほど、指の間から零れ落ちていってしまうんだ。



「本当の俺なんか知らないくせに。
 お前みたいに正面からしか物の見れない奴に分かるわけないだろう?
 俺の後ろにある手足に絡みつくような『家』という存在が、お前なんかに分かるはずがない。」


「柚木・・・」


「大きなお世話だ。俺がこの先どう生きようと火原には関係ない。
 はお前にくれてやるよ。俺のお古だけどイイ女だから大事にしてやってくれ。」



言い終わるか終わらないかのうちに殴られた。
火原はベンチの前に立ち上がり、俺を殴った拳を震わせている。
俺は反動でベンチの背に体を打ちつけながらも笑みを消さなかった。


頬が痛みで燃えるようだ。
だが、その痛みが俺を救ってくれる。
痛みが強ければ強いほど、俺は何とか自分というものを保っていられる。



「殴って気がすんだか?なら、帰れよ。」
「俺で・・・」



火原の顔がみるみる泣きそうに歪んだ。
そんな火原を見るのは初めてだ。
火原は大きな瞳を潤ませて叫ぶように言った。



「俺でちゃんを幸せにできるんなら、とっくにしてるよ!
 柚木じゃないと駄目なんだ!ちゃんの好きな柚木じゃないと幸せにできないから頼んでるんだろっ!」



やっぱり俺は・・火原が好きだよ。
高校生の頃から、ずっと傍にいて欲しくて自分を隠し通すほどに大事な存在。


泣き出さんばかりの形相で俺を睨みつけてる火原を見て思う。


お前は俺にとってかけがえのない存在。
それは、そう。と並ぶほどに。



「ねぇ、火原。お前は笑うかもしれないけど、俺はね火原という存在に依存してきたんだ。
 お前の前ではとても素直になれた。
 お前の前では無理をしなくても笑えた。
 お前の真っ直ぐな音が、気持ちが、とても好きだった。」



火原は瞳を大きくして、それから小さく「知ってる」と頷いた。
握っていた拳を開き、前髪をクシャッと掴んだ火原が脱力したように隣に腰をおろす。
途端に寒かった体の片側が温かくなった気がした。



「俺さ、ちゃん・・好きだよ。でもさ、柚木も大好きで大切な友達なんだ。
 俺が大好きな二人には幸せでいて欲しい。
 だからさ、柚木にもちゃんにも諦めて欲しくない。
 お前の家がどんなに大変なとこだったとしても、何もしないで諦めるのは悔しいよ。
 だってさ、柚木は独りじゃない。ちゃんがいる。俺だっている。
 それに音楽だってあるだろ?
 柚木の中にある情熱を見せてくれよ。頼むから!」



膝の上で組んだ火原の手が震えている。
俺の胸も火原の言葉に震えていた。



「火原に説教される日が来るとは思わなかったな。」
「なんだよ、それ!俺を何だと思ってたんだよ!」



風に髪がさらわれる。その髪を押さえながら、しっかりと火原の目を見た。



「・・・先は厳しいだろう。柚木の家は俺の我儘を通してくれるほど甘くはない。」
「うん。」


「でも、足掻いてみるのも悪くないかもな。俺には、」
「うん。」


「譲れない気持ちがある。」



ニカッと火原が笑った。



うん。柚木だもん、絶対大丈夫だよ。
俺は信じてる!



火原の明るい声が、
俺の心と一緒に空に解き放たれていった。



















譲れない気持ち 後編 

2007.05.14




















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