100万回でも好きだと言おう 最終回












忍足の奴・・・と思うのに腹は立たない。
雪の中に立つ変わらない姿に、俺は視線を伏せて笑った。


相も変わらず白くて、ちまちまとして、また前髪を短くしてやがる。
そして少しだけ恥ずかしそうに笑いながら、変わらない目で俺を見ていた。


コイツには敵わないと可笑しくなったんだ。



「元気そうだな」



自分の言葉にも笑ってしまう。
あんなにも焦がれていた女を前に、第一声がコレか。



「ハイ、元気ですよ。跡部さんは・・・少し痩せましたか?」
「そうか?最近は忙しかったからな」



の問いかけに自らの顎に触れる。確かに少し痩せたかもしれない。
なんでもないような会話が自然に交わせるのが不思議に思えた。



「スゴイですねぇ。お月さまに近そう」



が後ろを振り返り、俺のマンションを見上げた。
夜景が綺麗でしょうと訊かれたことはあったが、月に近いと言われたのは初めてだ。



「何階に住んでるんですか?」
「最上階だ」


「うわっ。怖くないですか?」
「何がだ?」


「高い所にいるとドキドキするでしょう?」
「そうか?」



俺はの横に並び、便利さとセキュリティだけを考えて選んだマンションを見上げた。
そういえば自分のマンションをこんなふうに見ることなどなかった。



「本当に社長さんだったんですね」



ポツッとが呟いた。
ああ、と俺は答える。普通の人間がどんなに真面目に働いても住めやしないマンションだろう。



「嘘をついて悪かった」



これを言っておきたかった。
はマンションから視線を落とし、頭を横に振る。



「ううん、知らなくて良かったと思ってます」



俺に顔を向けたは大きな目を細めて微笑む。



「私・・・跡部さんがエライ人だと知ってたら、きっと好きになっていませんでした
 話しかけるのも恐れ多いって言うか、住む世界の違う人だって頭から思いこんじゃってたと思います」



俺は黙っての話を聞く。
住む世界が違うという言葉に痛みを感じながらも、俺は逸らさずにの気持ちを受け止めたいと思った。



「でも私の知ってる跡部さんは普通のことを知らない変な人で
 文句ばっかり言うのに結局は付き合ってくれるお人好しで
 よく笑って、よく怒って、それでいていつも優しくて・・・あたたかい人だった」



お前が突拍子のないことばかりするから、俺は振り回されてばかりだったんだ。
馬鹿馬鹿しくて、それでもお前は大真面目で、俺はいつの間にか笑っていた。
お前といると俺は俺でいられて、いつも優しい気持ちになれた。


の瞳に涙が浮かぶ。
伸びた髪が風に吹かれるたびに雪が舞い、抱いたガーベラが手を振るように揺れた。



「跡部さんは私の知っている跡部さんでしかない
 私が好きになった・・・あなたでしか・・ないんです」



の白い頬を涙の雫がすべり落ちていった。
俺は何度お前を泣かせただろう。
きっと俺の知らないところでも泣かせたに違いなかった。


それなのに嬉しいと思ってしまう俺はどうかしているだろうか。
お前の涙は俺に向かう想いの結晶だ。
俺を受け入れてくれるお前の涙に俺は喜びを感じている。



俺は空を見上げた。
暗い灰色の雲から落ちてくる白い雪は行方も定まらずに落ちてくる。
それでもいい。どこかには落ちていけるんだ。







初めて名前を呼んだ。
子供のように手の甲で涙を拭っていたが驚いたように顔をあげる。



「何を失ってもお前が欲しいと言ったら、お前の全てを俺にくれるか?」



唐突だ。
多分・・・コイツは俺に最後の別れを言いにきたんだろう。
揺れるガーベラの中に埋もれている白い封筒は俺が忍足に渡した小切手だと思う。
花も金も思い出も、全てを清算にきた女に何を言うのか俺は。


これ以上ないというほど目を見開いているを見据えた。
どんな答えも恐れはしないと今頃になって肝がすわる。



「どういう・・意味?」
「そのままだ。俺の背負うもの全てを捨ててもお前が欲しいと言ったんだ」


「こ、婚約が決まったって」
「ぶち壊すさ」


「そんなこと。それに、私・・・田舎に帰らなきゃ」
「帰りたきゃ帰ればいい。かたがついたら迎えに行ってやる」


「で、でも・・・」



話している間にもの頬に涙が零れる。
寒さなのか泣いているせいなのか、鼻の頭を赤くして必死に言いつのる姿が愛しかった。



「だって跡部さん・・・どうして」



ああ、そうかと肝心なことに気がついた。
俺は一度だって、お前に想いを返してやってなかったな。


心を決めたら悩んでいたことが馬鹿らしくなってきた。
敷かれたレールの上ばかりを走ってきたから、外れることの楽しさを知らなかったようだ。



俺は迷いなくに近づき、その細い肩を掴んだ。



「好きだ」



初めて言葉にして告げた。
は理解するのに時間がかかるのか、瞬きさえ忘れて俺を見つめている。



「お前が好きだ。ずっと、お前が欲しかった」



う・・そ。
音にもならずの唇が紡ぐ。



「信じられないのなら今日から毎日言ってやる。これまで言えなかった分も、毎日だ
 100万回でも言ってやる。俺は、お前が好きだ」



ガーベラの花に顔を埋めるようにしてが泣いた。
だから抱きしめた。力いっぱいだ。
冬の匂いがする髪に口づけて、俺は青臭いガキのように『好きだ』と囁き続けた。










夜明け前に夢を見た。


よくは覚えていないのに優しい夢を見た気がした。
オレンジ色と空を見たような・・・だからきっとミカン畑の夢を見たんだろうと思う。



小さなは俺の腕の中。
額を俺の胸に擦りつけるようにして寝息を立てていた。
俺が身じろぎすると足もとのアルが顔を上げる。


初めての恋人たちの夜に邪魔者もいいところだが、
あまりに寂しがるのでが眠ってしまってから寝室に入れてやった。



リビングにはが持ってきたガーベラが無造作に置かれてある。
その隣には俺が忍足に頼んだ小切手の封筒。


携帯には忍足からのメールがきていた。



『勝手なことをしたと怒ってるやろうけど、最後のお節介やと思うて許してくれ
 コンクールは最終審査までは進んだんやけど、あかんかった
 留学の話はちゃんとしたんやで?けど、キッパリと断られた
 一つ夢を失ったら、また一つ新しい夢を見つければええんやって。強いコや
 そのちゃんがお前に会いたいって泣いた
 コンクールに落ちても泣かへんかったコに泣かれたらキツイで?
 婚約のお祝いに花を持っていきたいって言うし、なんやもうココで人肌脱がんと男やないっていうか
 まぁ・・言い訳や。とにかく会ってやってくれ。で、泣かすな
 帰す時には俺に電話をくれ。すぐに迎えに行くから』



『迎えは不要だ。お前には感謝している』



短い返信でも、あの忍足なら察しただろう。





新しい一日が始まる。
今日から俺には戦いの日々となるだろう。



足掻く努力もしなかった俺だが今日からは違う。
俺は誰かの後ろ盾がなければ独りで立ってもいられないほど非力な男ではないはずだ。
すべてを失うのなら、一からこの手で掴めばいい。



の睫毛が震えた。
もうすぐ漆黒の瞳が俺を映すだろう。
起きたら雪が積もっていると教えてやろう。


そして今日の分の『好きだ』を告げてやるんだ。










ミカンの花が咲く頃。


俺は飛行機の中でパソコンを開いていた。
無理に空けたスケジュールは優秀な秘書が捻り出してくれたものだ。
シートベルト着用を知らせるアナウンスに、やっとパソコンを閉じて肩の力を抜いた。


窓の外は晴天だ。
見えてきた海の色は空の青さをうつしたかのような鮮やかさだった。



俺は今も忍足のクリニックがあるビルの社長室にいる。
さすがの父親も一人息子の俺をクビにすることは出来なかった。
跡部の名前を捨てる良い機会だと覚悟をしていた俺だったが、
婚約破棄をするしないで父親と揉めている間に相手方から先に破棄を求められてしまった。
なので表向きは俺がクビを切られる理由がなくなった。


破棄の真相は婚約者であった彼女から直接教えてもらった。



『わたくし父から勘当されますの』



彼女は嬉しそうに言った。
俺は先を越されたことに多少の不快感を感じていたが、彼女の晴れ晴れとした表情を見たら文句も言えない。



『それにしては楽しそうですね』
『これからアメリカに行きますの。この子と一緒に』



そう言って膨らみもない腹部に優しく手を添えた。
なるほど、と思う。彼女もすべてを捨てて好きな男のもとへ行く。



『ここは、おめでとうございますと言っておきましょうか』



俺が頭を軽く下げると彼女は華やかに笑った。



『あなたに大変な恥をかかせてしまうのが申し訳なくて。それだけが心残りです』
『気にしないでください。先を越されてしまっただけですから』



俺の言葉に少し首をかしげた彼女だったが、すぐに凛とした表情を見せる。



『全面的に此方に責任がありますから提携はそちらの有利なように進められると思います』



ありがたいような、ありがたくないような話だが、ビジネスチャンスだと思えば悪くない。
俺は婚約を破棄された男として名を残すだけのことだ。


その後は俺の事情などひた隠し、跡部グループ有利に提携は進んでいる。
だが俺を許せない父親は、提携という大プロジェクトから完全に俺を外した。


頭を冷やせということだろうが、俺はとうの昔に冷静になっている。
今の会社を跡部グループから独立させるために、人知れず動いている俺だ。



そにしても小さな空港だ。
地方の情緒漂う空港に降り、俺は大きく息を吸った。



街から近いと誰が言ったのやら。
どこまでタクシーのメーターが上がるのかと呆れながら着いたのは、丸ごとミカンの山だった。
積み重ねられた黄色い箱と古びた軽トラック。
小さな鳥たちがチョコチョコと俺の前を飛び跳ねていく。


絵に描いたような風景に軽い感動を覚えつつ、
俺は朱色の郵便受けにマジック書きされた名前を確認した。



耳の遠いお祖母さんに指をさされ、俺はミカン畑に足を踏み入れる。
ミカンには白く小さな花がたくさん咲いていて、濃い緑の葉によく映えていた。
甘酸っぱいような匂いは可憐な花の香りだ。


それにしても・・・どこまで行ってもミカンの木しかない。


携帯は持っているだろうか。
そもそも此処で携帯が使えるのか疑問だ。


胸の携帯に手を伸ばした時、
どこからか風に乗って歌声が聞こえてきた。



「そっちか」



呟いて、歌声に導かれるように進む。


ミカンの木々の間に白い横顔が見えた。
黒髪の脇に咲く白いミカンの花が、まるで髪飾りのようだ。


は童謡を歌っていた。
脚立の上に座り、熱心に作業をしながら気持ちよさそうに歌っている。



のびやかな声が大らかな空気に溶けて、青い空に吸い込まれていく。
何もかもが澄んでいて、夜の星空を見るのが楽しみになった。


勝手に口元が緩んで仕方ない。







名前を呼べば歌声が消えて、かわりに俺の名前が紡がれる。



「迎えに来た」



軍手に鋏を持った手で、が無邪気に手を広げた。
俺は脚立に近づき、ずっと欲しかった存在に手を伸ばす。



「ねぇ、今日の分を言って」



歓迎の言葉より先に強請られて、俺もつくづく甘いと思いながら応えるしかない。



「好きだ」



耳たぶに唇を寄せて囁き、俺はを抱きしめた。





家族に熱烈歓迎を受けた俺は、酔い醒ましだと断って夜の屋外へ逃げ出した。
跡部の家より違う意味で気力を要するパワフルな家族だ。



「あ、流れ星」
「驚くほど星が多いな」



俺に星空を見せることができたは満足そうだ。
月明かりだけでも歩ける夜の道。


自然に溶け込んでいるを見ると俺は複雑な気持ちになる。
星も見えないような都会に連れて行かれたうえに跡部の名を背負わされて
はそれでも幸せだと思えるだろうか。



「東京には星がないぞ」
「知ってますよ」


「俺と一緒にいると苦労もするだろう」
「そうですね。大変そうです」



はあっけらかんと答えて、幼稚園児のように握った俺の手を大きくふりながら歩く。
コイツは真剣に考えているのだろうかと再び口を開こうとした。


それより先にが俺を見る。
躊躇いなく俺を見つめて、それからミカンの花のような明るい笑顔を浮かべた。



「一緒ですもん。きっと大丈夫」





気付けば俺は色々なものを持っていた。


お節介な友と俺を心配してくれる人々。
どこまでも俺についていくと言ってくれた社員たち。
絶対的な信頼を寄せてくれる愛犬もいる。


そして
いつかは俺の子供に子守唄を歌ってくれるだろう、がいる。
俺を必要としてくれて、俺が必要としている。





さぁ新しい夢を掴みに行こう。




















100万回でも好きだと言おう 最終回 

2009/04/08




















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