『お慕いしております 〜跡部景吾編〜』 壱
月の美しい夜。
磨かれた長い廊下を照らす白い光りに背を押され、景吾は溜息を吐いた。
「チッ。めんどくせぇな」
とても一国の主とは思えない口調に、後ろに控えた忍足が笑いをかみ殺す。
景吾が向かう先、それは本日めでたく娶った妻のもと。
今宵は夫婦の初夜であったのだが、当の景吾は再び溜息をつき「忍足、お前が行っとくか?」などと真顔で言うのであった。
古くから諸国に名を知られる跡部家は、申し分ない家柄で莫大な財と領地を治めている。
その家督を継いだ景吾はまだ若かったが、類まれなる知と行動力は他者を圧倒する。
特別な人間だけが持つ才をすべて持って生まれてきたような男だった。
おまけに容姿端麗な景吾は女に好かれる。
不自由などするはずもなく好き放題に遊んできたものの、これまで妻を迎えたことはない。
父親が見境なく妻を娶っては子をもうけたせいで、常日頃から腹違いの弟や妹たちの件で頭を痛めている景吾としては
面倒事は一つでも少ない方がいいと先延ばしにしてきた結果であった。
「幸村に頼まれて一肌脱いでやったのが、このザマだ。あの野郎、馬一頭じゃ許せねぇ」
「えらい気にいって横取りした名馬やろ?幸村、めちゃ渋々やったやん
それにまぁ・・やきもきしとった年寄りに糠喜びさせたんやから、強引に娶らされても文句は言えへんな
いつかは後継ぎも作らなあかんのやから、ええ機会や」
「人ごとだと思いやがって。顔もろくに見てねぇし、名前も忘れちまったぞ?」
とうとう新妻の待つ室の前まできて、跡部は苦々しく眉を寄せる。
しかし幼い時から傍にいた忍足は、にっこりと微笑んで教えてくれた。
「殿、ご正室様のお名前は姫様でございますよ」と。
これはどういうことだろうと思う。
蝋燭の灯りがゆっくりと揺れる静かな部屋に純白の布団が二組並ぶ。
だが、新妻の姿がない。あるのは、こんもりと膨らむ布団の山。
まさか?いや、初夜だぞ。
というか初夜とかそういう問題ではなく、先に寝ていること自体がありえない。
片方だけに出来た小山に近づき、頭もとに立つ。
すると艶のある黒髪が現れ、長い睫毛を伏せて眠っている女の寝顔があった。
目元しか見えないが、存外に整った容姿のようだ。
しかしながら、今はそんなことを考えている場合ではない。
「おい、起きろ」
普通の声で言ってみたが、彼女は全く反応しない。どうやら本気で寝ている。
呆れを通り越して腹が立ってきた景吾は、純白の布団の端を掴むと思いっきり引っ張った。
あらわになった姫と呼ばれる女は、小さく唸ると身を丸めて手を伸ばした。
細く白い手がパタパタと布団を探る。この期に及んで、はがされた布団が恋しいらしい。
「なんて女だ。コラッ!いい加減、起きやがれ!」
別室で控える者が飛び上るほどの声で一喝すると、姫の長い睫毛が震え・・・ゆっくりと瞼が開いていった。
そして半分は夢うつつのような様子のまま、緩慢な動きで彼女の瞳が景吾をとらえる。
景吾は息をのんだ。
彼女の潤んだ瞳は蝋燭の灯りを集め、黄金色に輝いている。
まるで昇っていく朝陽のように美しく澄んだ瞳で景吾を見つめた。
しかし感動は一瞬だ。
「殿・・・寒うございます。布団をお返しください」
「は?」
「今朝は早くから飾り立てられ、長い間を輿に揺られて参ったのでございます」
もう眠くて、眠くてと言いながら、のそっと身を起こす姫の肩に見事な黒髪が滑った。
婚儀の時には白い布に隠された容姿になど興味もなかったのだが、これはなかなかの美姫だ。
死にかかった年寄りたちが『美しい姫であらせまするぞ』『殿も必ずやお気に召しましょう』と
しつこいほどに言っていたが、あながち嘘じゃなかったということだ。
室に入る時より気分の浮上した景吾は、布団を戻すと姫の隣に腰をおろした。
すると美しい姫は大喜びで布団を引き寄せ再び横になろうとするではないか。
「なかなか積極的だな」
呟いて、妻の肩に手をかけようとしたら・・・叩かれた。
「お約束が違います」
「約束?なんのだ?」
もう、眠いのにと文句を言いながら億劫そうに身を起した妻が口を尖らせる。
「わたくしは父より『お前は黙って座っておればいい。とにかく黙って居ればいいのだ』と言われて参りました」
「なんだそりゃ。第一、お前は座ってんじゃなくて寝てるじゃねぇか」
「だって眠いんですもの。とにかく、わたくしは黙って寝るのが役目でございます」
父は『黙って座っていろ』と言ったらしいが、いつの間にか『寝る』に置き換えられている。
そんなことは気にも留めない姫は、それではおやすみなさいませと三度横になろうとした。
さすがの跡部も唖然としたが、ここで『ハイそうですか』では癪に障る。
さっきまで初夜など面倒だと愚痴っていたことなど忘れきり、寝汚くも美しい姫の腕を掴んで止めた。
「ちょっと、待て。お前の役目は俺の妻として子を成すことだろうが」
「そんなこと言われたかしら?」
記憶をたぐるように天井を見つめ考えている姿が腹立たしい。
しかし掴んだ腕は細く頼りないのに温かく、ぱちぱちと瞬きする長い睫毛に艶がある。
「正室として輿入れしたんだ、当然だろう?」
「まぁ、困ったわ。なんだか気乗りしないし・・・」
一夜だけでも情けを頂きたいと寄ってくる女が後を絶たない俺様に対して、それか!
ある意味、景吾にとっては初めて味わう衝撃だ。
「俺様の何が気にいらないだと?」
情けない質問なのだが、そんなことに気付きもしない景吾は頭に血が昇っていた。
そこで初めてマジマジとが景吾を見つめた。
闇の水の中に浮かぶ宝石のような輝きを持つ瞳。
そんな瞳を持つ女は初めて見たのだ。
「泣き黒子がございますのね。泣き虫ですか?」
「そこかよ」
頭を抱えたくなる。
「あとは・・・なんていうか無駄にえらそうな感じが鼻につくって言うか」
この女っ。
思わず薄く色づいた頬を掴み引っ張った。
「い、いたたた。痛いです、殿」
「痛くしてんだよ。この減らず口!」
「と・・とにかく無理、無理です」
「なにがだ」
「子は他の方にお願いするとして」
「なに?」
「も殿を陰ながら応援いたしますので」
「どうやってだ!?ああん?」
本気で怒りだす景吾と眠気と戦いながら言い返すの声は、月明かりの美しい夜に延々と聞こえていた。
翌朝。
清々しく晴れ渡った空のもと、あくびを噛み殺す景吾の姿に老臣たちは胸を撫で下ろす。
これで世継ぎの件は安泰だと安堵の息を吐いた。
「どうや、姫は。めちゃ美人さんやったやろ?」
「どうもこうもないぞ、あれは」
揶揄するような忍足に、景吾は苦り切った表情だ。
「なんや。深窓の姫は初心すぎて苦労したんか?」
「・・・そういう苦労をしてみたかったぜ」
呟いて、景吾は朝の光りに目を細める。
それが彼女の瞳を思い起こさせるのだから不思議だ。
「そのうち絶対に言わせてやるさ。おぼえてろ」
勝ち誇った笑みを浮かべ、さぁて務めだと背を向けた景吾の後ろを首をかしげた忍足が追う。
『お慕いしております』
あの女に言わせるには骨が折れそうだ。
だからこそ、やりがいがあるというもの。
執着は『恋』なのだと景吾が気付くのは、もう少し後だ。
『お慕いしております〜跡部景吾編〜壱』
5周年感謝御礼企画より
2009/07/14
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