『お慕いしております 〜跡部景吾編〜』 弐
「世継ぎはまだであろうかのう」
「うるわしい殿と姫の間の子じゃ。今から楽しみじゃ」
襖の向こうで交わされる会話に、景吾は眉間をおさえて溜息をつく。
後ろで忍足が笑いをこらえている気配がして、それが余計に腹立たしい。
遠ざかっていく足音に、やっと景吾は後ろを振り返り、忍足の頭を扇子で殴った。
「痛っ」
「てめぇ、笑ってんじゃねぇぞ」
「世継ぎを楽しみにしてる爺さんたちが可笑し・・いや、哀れで」
「チッ」
舌打ちする景吾に、忍足は笑いを耐えながら恭しく襖を開けて礼をする。
跡部景吾は、この城の主だからだ。
富と名声を馳せ、多少性格に難はあるものの容姿も麗しい、この当主。
先ほど、それはそれは美しい正室を娶った。
女は好きだが面倒くさいことが大嫌いな景吾は、正室も妾もとらずに気ままな独身生活を楽しんでいたのだが
腐れ縁の友に『ちょっと力を貸してくれ』と偽装結婚を強請られ、譲ってくれるという名馬に頷いてしまったのが間違いだった。
譲ると言ったくせにゴネる友から望みの馬は奪い取ったのだが、おまけがついた。
糠喜びをさせてしまった年寄りどもがキレたのだ。
いずれは誰かを娶って世継ぎをもうけるのも当主の仕事。
それぐらいは景吾とて分かっていたので、渋々と妻を娶った。
正室の名は、姫。
景吾が出会ってきた姫の中でも、とびきりの美姫。
家柄も良く、教養もあり、なぜに今まで嫁がずいたのかと誰もが首をかしげるような姫だ。
重臣たちは喜んだ。
殿のためだけに生まれ、殿と添うために美しく成長された姫様だと。
「ありえねぇ」
景吾は柱に背を預け、誰に聞かせるでもなく呟いた。
ここは迎えた妻のために用意した部屋。
部屋から見えるのは季節ごとに咲き乱れる美しい花々。
御正室様のためにと、庭師が精魂こめて整えている。
が、当の本人といえば・・・きらびやかな打掛を放り、身軽な姿で昼寝をしていた。
畳に散らかるのは読みかけの書物。
読んでいるうちに眠くなってしまったのか、跡部家が所蔵する貴重な本が無造作に開かれ畳に突っ伏している。
景吾は癖になりそうな溜息をつくと、柱から背を浮かせて彼女の頭もとにしゃがんだ。
「おい、起きろ。、コラっ」
頬にかかる艶のある黒髪と桜色の唇。
柔らかそうな唇から洩れるのは、無防備な寝息だ。
「!!」
このヤローと形の良い耳を引っ張り景吾が名を呼ぶと、さすがの姫も小さな呻き声をあげて瞼を震わせた。
「と・・の?」
「そうだ」
寝ぼけ眼の姫が舌足らずな様子で自分を呼ぶ。
そして幼子のように目をこする仕草を見せながら、緩慢に身を起した。
「おはよう・・・ございます」
「もう昼だ」
「え・・・もう?一日は早うございますね」
相変わらず噛み合わない会話に頭痛を覚えつつ、寝ていたせいで緩んだの胸元に目がいく。
白く肌理の細かい肌が覗き、景吾は眉を寄せた。
庭に続く障子を豪快に開けっ放しのうえに、なんでこんな格好で寝てるんだ!!
言葉にするより先に、景吾はの衿元を掴むと強引にひき合せた。
「きゃあああ」
突然に胸元を探られたは、まるで乱暴でもされたかのような悲鳴を上げて身を屈める。
その通る声の大きさに景吾も吃驚したが、周囲も驚いたらしい。
「御方様、いかが・・」
飛び込んできた侍女が景吾の姿を見て慌てて口をつぐみ
微妙に頬を染めると「し、失礼いたしました」と辞してしまう。
入れ替わりに室を覗いた忍足は、「あ〜」と気の抜けた声を出した。
「殿。いくらなんでも、こんな真昼間に開け放してコトに及ぶんは、どうかと」
「はぁ?」
「寵愛されるんは分かりますけど、姫様は嫌がっておいでのようですし
夜まで待つか、せめて人払いのうえに戸ぐらいは閉めてから」
あまりな悲鳴にあっ気にとられていた景吾だったが、忍足の言葉で我にかえった。
そして目の前の状況を冷静に考えてみる。
打掛は脱ぎすてられ、寝乱れて緩んだ着物の胸元を掴んで震えている。
「ありえねぇ」
本日、二度目の台詞だった。
「だいたい、いつもお前が悪いんだ!コラ、聞いているのか!?」
「聞いてます。聞いてますけど、私・・別に悪く」
「悪く?悪く、なんだ?ないとか言いやがるつもりだろう?」
「だって」
「だって、なんだ!?」
仁王立ちになった景吾が怒鳴ると、は両手で耳をおさえて眉をしかめた。
出来の悪い娘を説教する父親のような景吾なのだが、姫の方はどうも堪えているふうでない。
「だいたいお前が真昼間から、だらしない格好で寝こけてるから俺が疑われるんだ!」
「だって・・・あの打掛は刺繍が多すぎて重いのです。肩もこるし、暑いし」
景吾は閉口した。
彼が名のある縫い師に頼んで特別に作らせた豪華絢爛な打掛だ。
それを重くて肩がこるから脱ぎ捨てたとは。
「お前、誰のために俺がわざわざ」
「殿も試してごらんなさいませ。腕を動かすのも億劫になりますよ」
「・・・もういい」
いまだかつて、ここまで俺を脱力させる女がいただろうか。
景吾は半ば自棄気味に考えをめぐらせ、の前に腰を下ろした。
「あの打掛は着なくていい。誰でも好きな奴にやっちまえ」
「まぁ。殿は太っ腹ですね」
目を丸くして唇に手をやる。
文句は言っても、一応は物の価値が分かっていたらしい。
まぁ、それでいいかと景吾は三度の溜息をつく。
「とにかく開け放して無防備に寝るな。どこで誰が見ているとも限らないんだぞ」
「このお城はそんなに物騒なのですか?」
「そんなわけないだろ?そうじゃなくて、お前を・・・」
とんちんかんな質問をしてくるに勢いのまま言いかけて、景吾は息を止めた。
お前を・・・その次に俺は何を言おうとした?
「殿?」
きょとんとして首を傾けたの肩に黒髪がすべって落ちた。
漆黒の中に昼間の光りを集めた様な瞳。
まるで星が散らばっているようだ。
その瞳が言葉に詰まった景吾の姿を映している。
「俺は・・・お前を」
愕然としたまま言葉が零れた時だ。
ぐぅっと奇妙な音が景吾の思考を遮った。
「殿、わたくし何も食べておりませんでした」
「お前という奴は」
腹の虫を恥ずかしそうに押さえて、が笑った。
その無邪気な笑みに、景吾も口の端をあげる。
「俺も食べてないんだ。来い、準備をさせる」
「え?」
「一緒に食べればいいだろ。ああ、そのまえに何か上に羽織ってこい」
「は・・はい」
共に食事をとることなど滅多にない。
侍女を呼び、支度をさせながら、景吾はの室から見える庭を眺めた。
隣の部屋で別の打掛を着たが、しずしずと歩いてきた。
黙って立っていれば、庭に咲く芍薬の花のように美しい。
「誰にも見られたくないんだ」
「何をでございます?」
不思議そうに自分を見つめてくるに、景吾は瞳を細めて小さく笑った。
「俺の・・花を、だ」
その後、姫から打掛を譲られそうになった侍女は半泣きで辞退し、結局は貰い手がつかなかった。
なら捨てろと景吾は簡単に言ったけれど、さすがにそれはにも出来ない。
見事な刺繍が施された打掛を手に思案したは、とても有効な利用法を思いついた。
「えらくまた派手な布団だな」
「適度な重みと温かさで、なかなかのものでございますよ」
「ま、そりゃ良かった」
の床には例の豪華な打掛が乗せられており、景吾は苦笑する。
白い単衣姿の妻は今夜も美しく、かつ眠そうだ。
「殿・・・そうそうお渡りにならなくても」
「普通は『ようこそいらっしゃいました』と喜ぶもんだろ」
「わたくしに、そのようなことを求められましても」
「この前、お前の親父から『一日も早く赤子の顔を見せてくれ』と頼まれたぜ?」
「あら、困りましたね。殿が、どこぞでこしらえて貰って来て下さると助かるのですけど」
「お前なぁ」
は今も夫を受け入れない。
無理強いしてまで抱くのは、景吾の男としての矜持が許さない。
だから二人は、ただ共に夜だけを過ごす。
「おら、寝るぞ」
困惑するを無視して、景吾は派手な打掛をめくると横になった。
床は一つしか敷いてない。
景吾が、それを望んだからだ。
寝るのが趣味のようなにとって、一晩中を座して耐えるなどできるはずもないし
侍女の布団にもぐりこむわけにもいかない。
そうなると残されるのは、ひとつだ。
「失礼いたします」
景吾の返事はない。
いつもは鋭い瞳も瞼に覆われていて、端正な横顔をさらしている。
おずおずと端から床に潜り込むと、は景吾に背を向けて横になった。
途端に後ろから巻きついてくる力強い腕。
が悲鳴をあげるより先に耳元に囁かれたのは、穏やかな声だった。
「いい子で、寝な」
優しく包むように背中から抱きしめられて、は悲鳴を飲み込んだ。
それ以上に何もない。景吾はの首筋に顔を埋めるようにして、寝てしまった。
緊張で強張った体に、段々と人の温もりが沁みてくる。
はじめは何度も腕から抜けだそうとしたのだ。
だけれど夫になった人は本気では怒りもせず、無理強いもせず、ただ隣で眠ってくれる。
「殿は・・・変な人です」
ひとり呟いて、は段々と重くなる瞼を閉じた。
心地よい温もりは二人を穏やかな眠りに誘う。
お慕いしております 〜跡部景吾編〜 弐
2009/08/13
5周年御礼企画リクにお応えして。
望んでくださった方、ありがとうございました。
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