『お慕いしております 〜跡部景吾編〜』 参











「いいか?絶対に俺から離れるなよ?」
「心得ております」



清楚な小袖を着た妻は、それは美しい笑みを浮かべて力強く頷く。
しかし、夫である景吾は眉根を寄せ、疑いの目で妻を見つめるのだった。


景吾が娶った姫は、由緒ある家の正室が生んだ長女であった。
言わば生粋のお姫様であり、名のある家に嫁ぐための教養と振る舞いを厳しく躾けられて育つ。
当然のことながら城から出ることなど滅多にないし、出たところで輿に揺られてのこと。
町の者と変わらぬ姿で城下を歩くなど経験したことがなかった。



「まぁ、殿!!なにやら人だかりが」



言うが早いか小走りで向かう妻の背を景吾は溜息混じりに追う。
どういう教育をしてきたんだと妻を寄こした家に文句の一つも言いたくなるが、
子供のようにはしゃぐの姿を見るのは悪くない。


つまらなそうに日々を費やしている新妻に、ちょっとした気まぐれで『城下に行ってみるか?』と口にしたのが運のつき。
そりゃあもう初めて見たぞというような期待に満ちた瞳が景吾に向けられていた。


いつもは何に誘っても酷く億劫そうで、嫌々ですがお努めなので付き合いますと顔に書いてある
その彼女が小袖に素早く着替え、髪も結い直して意気揚々と現れたのには驚きを通り越して呆れたものだ。



「コラ。勝手に行くなって・・・」



人ごみに頭を突っ込んだ背中に口を開けば、白く華奢な指が景吾の袖を引いた。



「殿!サルです、サルが芸をしておりますの」
「そ、そうかよ」


「まだ小さな子ザルですよ。まぁ、可愛らしい。ほら、殿もご覧になって」



は興奮して景吾の袖を何度も引く。
今まで決して自分から触れようとしたなかった妻が、無邪気に袖を引く姿のほうが可愛らしい。
景吾は苦笑しながらも、連れてきてやって良かったと口元を緩めた。


一通りの芸が終わると、サルが見世物代を徴収するべく籠を持ってまわりはじめる。
するとは再び景吾の袖を引いた。



「殿、サルに褒美をあげなくては」
「分かった、分かった。それより、。その『殿』はやめろ
 今日は忍んで遊びに来てるんだから、不味いんだよ」



殿、殿と連呼されたのでは、すぐに城主だとばれてしまう。
せっかく供も連れずに二人きりで出てきたのだ。
周囲の者に平伏されてしまったのでは興ざめだ。



「そうですね。では・・・何とお呼びいたしましょう?」


「名前で呼べばいい。景吾だ」
「な、なんだか恐れ多いのですけれど」


「いいから呼べ。いいな?」



懐から金を出し、困惑するの手に握らせてやる。
するとは恥ずかしそうに下を向き、暫し躊躇った後に小さく呟いた。



「ありがとうございます、殿・・景吾様」



はにかんだ様子で僅かな小銭を受け取り、嬉々としてサルの差し出す姿を眺めていると勝手に頬が緩む。
可愛いところもあるものだと新たな発見がくすぐったい。



「さて、次は何が見たいんだ?」
「できたら小物を」


「なんだ欲しいものがあったのか。なら早く言えばいいものを」



正室であるが求めるものならば、城の中でも直ぐに揃えられるだけの力はある。
だがはニコニコと微笑んで「自分のものではない」と答えた。



「侍女たちにお土産をと思っております。ついでに侑士にも髪紐を」
「ちょっと、待て。侍女はいいとして、侑士って何だ?なんで忍足の名前を」


「侑士が、そう呼んでくれと。なにかいけませんでしたか?」



あ然とした後には、怒りが湧いてきた。
確かに仕える主の正室なのだから、名を呼び捨てにしてくれと願ってもおかしくはない。
だが、いまだに妻と進展がなく苛々している景吾にとっては、なぜだか無性に腹立しいのだ。


景吾は不機嫌そうに腕を組むと財布を握っている強みを見せる。



「金を出すのは俺だ。忍足の髪紐なんぞ必要ない。それに今後一切、奴を侑士と呼ぶな」
「まぁ、何故です?ひょっとして金子が足りないのですか?」



声をひそめて金の心配を始める
見当違いな心配は無視して、景吾は小物を買うには十分な金をに渡した。



「これぐらいあれば何でも買えるだろう。だが髪紐と侑士は却下だ」
「でも、侑・・・忍足殿には何かにつけて心遣いをしてもらっておりますし」


「それがアイツの仕事だ。っていうか忍足の奴、そんなにお前の世話を焼いていたのか?」



まったく。油断も隙もない奴だ。
城に戻ったら厳しく問いただしてやろうと心に決めた。



「とにかく駄目なものは、駄目だ」



恨みがましい目で景吾を見ているに念押しする。
すると小さく「ケチ」と聞こえた気がしたが、無視をして小間物屋に向かった。



女の買い物は長い。
景吾は店の主人に勧められ、店先に腰をおろして茶を飲んでいた。


あれでもない、これでもないと、は品物を何度も手に取って悩んでいる。
それも自分のものではなく、侍女たちのために真剣に考えていた。



「おい。いい加減にしろよ」
「もう少しでございますから」



そのセリフは三回聞いたと思ったが、口をつぐむ。
が景吾のもとに嫁いできたから後、こんなにもイキイキとして楽しそうな彼女を見たことがなかった。



「旦那様の奥方は稀に見る美しい御方でございますな。それでいて、なんとも可愛らしい」
「そうか?ああ見えて、扱いづらい女なんだが」



店主の愛想もあるだろうが、妻が褒められて嬉しくないはずがない。
景吾は満足げに笑い、更にもう一杯の茶を飲んで時間を潰した。


選び抜いた品を抱え、はホクホクとしている。
そんな表情も新鮮で、景吾は妻の横顔ばかりを追ってしまった。



「自分の分は買わなくて良かったのか?」
「買う必要などないほどに、貴方様が揃えて下さっております」



確かに正室である彼女の身の周りには溢れるほどの品が既に揃えてある。
だからか、が新しい何かを欲しがったとかいう話は聞いたことがなかった。


ふと景吾は思いつく。



、ちょっと待ってろ。すぐ戻るから動くなよ」
「はい」



小首をかしげて不思議そうに返事をしただが、夫に待てと言われれば待つだけだ。
百合の花のように立つ姿を視界のすみにおさめ、景吾は目についた店に入った。



景吾は紅を選んでいた。
目についたのが白粉や紅を取り扱っている店だったのもあるが、彼女の唇に自分の選んだ色をのせたいと思った。


赤・・・いや、もっと薄い色が似合う。
肌が透けるように白いのだから、色は柔らかく・・花びらのような。


櫛や着物を女に贈ることはあっても、紅を。
それも自分が選んでまで贈るなどということは初めてだ。


の唇を思い浮かべ選んでいると、段々と甘ったるい気持ちになってくる。



「これだな」



きっと似合うだろう。
そう確信して、自然と浮かぶ自分の笑みに気付かず店を出た。


だが、そこにの姿がなかった。



「まったく。動くなと言ったのに」



周囲を見渡していると、近くにある茶屋の女が駆けてきた。



「お、お侍様のお連れが変な奴らに」



背筋がヒヤリとした。


後悔などする暇もなかった。



茶屋の女が指差すままに走り、神社での買った土産品が散らばっているのを見つけた。
そして境内の裏方から小さな悲鳴を耳にした時、景吾は完全にキレていた。


人の気配に男たちが振り向くより先に、景吾は刀に手をかける。
すらりと抜いた刀は銀に木漏れ日を反射して輝いた。



「てめぇら、俺様の女に何してんだ」



地の底から響くような声と貫くような視線に男たちが怯む。
髪を乱し、腕を掴まれたまま恐怖に凍った目をしたが景吾の姿をとらえた。



「と・・景吾様!!」



殿と呼びかけて、この期に及んで呼び直す
いつもなら笑ってやるところだが、今はとにかく無事が確認できて安堵する。
だからといって奴らを許してやるはずもないが。



一目で景吾の力量をはかったのか、虚勢をはった男たちが後ずさりながらの首元に短刀を突き付けた。



「この女がどうなってもいいのか!!」



その言葉に、景吾は唇の端をつりあげた。
背筋の凍るような強者の微笑みだ。



「お前らこそ、どうなってもいいんだな?」



えっ、と男たちが一瞬たじろいだ。
景吾ほどの剣の使い手に、一瞬の隙は命取り。
目にも留まらぬ速さで銀色が過ぎたと思った時には、将棋の駒のように男たちが次々と倒れていった。



その中心で凍ったように震えながら立っている



景吾は刀をおさめるとに近づき、そっと彼女の頬に手を伸ばす。
やはり震えている。その唇の端が少し切れ、頬が腫れているのにも気がついた。


途端に腹の奥が熱くなる。
がいなければ間違いなく切り殺してやった。
泡を吹いて失神する男たちは、血を見せたくないというの存在で命拾いをしたのだ。


景吾は怒りを飲み込んで、努めて穏やかな声で問いかけた。



「すぐそこの店にいたんだ。なんで俺を呼ばなかった」
「よ・・呼ぼうとしたのです。でも、殿と呼びそうになってしまって・・・呼び直す前に口を」



声も震えていた。
そのの様子に胸が掴まれるような思いで、景吾は優しく頬を撫でてやる。



「馬鹿。そんな時に呼び方なんか考える奴があるか」
「だって」


「お前に呼ばれたら、なんであろうと助けに行く」
「殿・・・」


「俺はお前を必ず守る。この命に代えてもだ」



静かな誓いの声に、堪らずの瞳に涙が溢れてくる。
その涙も頬を包む指で拭い、景吾はそっと怖がらせないようにを抱きしめた。


震える体を宥めるように、慈しむように。
景吾はの体を包み、泣きじゃくる黒髪に頬を寄せた。










室に宵闇が忍び込んでくる。
はぼんやりと闇に紛れていく庭を眺めていた。


その手のひらに包まれているのは紅。
真新しい紅は、桜の香りが漂ってきそうに優しい色をしていた。




















お慕いしております 〜跡部景吾編〜 参 

2009/08/17




















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