『お慕いしております 〜跡部景吾編〜』 完












景吾は馬を走らせていた。


懐に捻じ込んでいるのは、の父親から送られてきた文である。
この一通の文で城を飛び出す自分が情けなくもあるが、動かずにはいられなかった。



『姫が跡部家に戻るのを拒んでおりまする。子も儲けられぬ身なれば、離縁をお許し願いたいと・・・』



子を儲けられないも何も、触れることを許さないのはだ。
慕っている乳母の見舞いに里へ帰りたいと城を出て、やけに帰りが遅いと思ったら、この有様だ。



自分の前でも可愛らしく笑うようになっていた。
景吾が選んだ桜色の紅をつけ、似合っていると褒めてやれば頬を染めた。
かみ合わない会話さえ面白くて、暇を見つけては不毛な言い合いをして過ごした。


いつも背中から抱きしめて、その温もりを分かち合いながら眠っていたのに・・・何故だ?



「見えてきたで」
「ああ」



のいる城が見えてきた。
共に馬を駆ける忍足が笑みを浮かべる。



「殿にここまでさせるとは、姫様にはかなわんなぁ」
「言ってろ」



不機嫌極まりない顔で舌打ちした景吾は、さらに急ぐべく愛馬の腹を蹴った。










小鳥のさえずる奥の部屋。
床から身を起した老女の肩に、たおやかな手が羽織をかけた。



「姫様、お城へお帰りなさいませ。このように長く御正室様が城を空けてはなりません」
「良いのです。もう・・・跡部の城には戻らぬ覚悟です」



俯き加減のが薬湯に手をかける。
視線を合わそうとしない様子に、親代わりの乳母は小さく溜息をついた。
嘘をつく時、何か言えぬ想いがある時、姫は自分の目を見ない。
幼い頃からの癖だ。



「何があったのです。そのように塞いで傍に居られては、更に病が重くなりそうで」
「ま、まことに?」



顔色を変えるに、乳母は目元の皺を深くした。



「嘘でございます。姫様のお顔を見て、もうすっかり良くなりました」
「もう、驚かせないで」


「ですが、そのように物憂げなお顔を見ていると
 心配で病もぶり返しそうな心地なのは本当でございますよ」


「・・・ごめんなさい」



まるで萎れた花のようだ。


美しく成長された自慢の姫様は、誰もが羨むような跡部家に輿入れした。
幸せになって欲しいと心から願っていたのに、どうも様子がおかしい。
そうこうしているうちに『跡部の城には戻らない』と言い出し、乳母も心を痛めていた。



「どうか姫様の胸の内をお聞かせくださいませ。話せば気が楽になりましょう?」
「なにも・・・」


「姫様」



いたわるような声がかけられ、温かな手がの拳を包む。
そうされると幼子に戻ってしまう気がした。



「怖いのです」
「怖い?」



意外な言葉に、乳母が目を丸くする。
は彼の人を思い出すように、包まれた手を見つめながらポツポツと語った。



「母上は心から父上を慕っておいでだった
 なのに父上はご自分が選んだ側室を寵愛して、
 家のために娶った母上には正室としてのお役目だけしか求めなかった
 そのことにどれだけ母上が苦しんできたか・・・あなたも知っているでしょう?」


「それはもう。ですが、それと姫様とは」


「考えたの。母上のように生涯を父上の傍で苦しみながら過ごすのは嫌だと
 わたくしは誰にも嫁ぎたくなかった。だけどそんなこと許されない
 ならば愛さない、愛されない。そうすれば裏切られることも、苦しむこともない

 わたくしは、ただの飾りになろうと決めたのです
 殿はいくらでも好いた側室を迎え入れ、世継ぎもその方に産んで貰えば良い
 情けも何もいらぬのです。わたくしは人に見せるためだけの籠の鳥になればよいのですから」



なんと、おいたわしい。
乳母は声にならぬ呟きを落とした。
そのような覚悟で跡部家に嫁いだとは思いもせず、ただ幸せを願っていたのだ。



「なのに・・・」



の声が沈む。



「あの方は変なのです
 わたくしが何か言うたび、子供のようにムキになって怒り、そのくせ本当には怒っていないのです
 無理強いだってできるはずなのに、仕方のない奴だと笑って許してしまう
 わたくしといても楽しいはずもないでしょうに、ふらふらとやってきては話をして
 つまらないだろうと言っては、手をひいて城下に連れて行ってくれるのです
 あれを見てみろ、これを見てみろと命令する癖に、最後はわたくしの希望を聞いて
 お前にはこれが似合うと・・・わたくしに」


「姫様」



乳母は会得したように頷いた。



「跡部様に心を寄せてしまわれたのですね」



が両手で顔を覆うと艶のある美しい黒髪が震えて肩を滑り落ちた。
乳母は床からにじり寄り、の肩を抱くと子を慰めるように髪を撫でる。



「お優しい方のもとへ嫁がれたのですね。安心いたしました」


「でも・・でも、駄目なの。このままでは母上と同じになってしまう。だから怖い」
「父上様と跡部様は違いましょう?きっと姫様を一番に愛して下さいます」


「そんな不確かな順番に何の意味があるのです?
 あの方もいつかは御自分が好かれた妾を傍に置かれるでしょう
 わたくしは耐えられない。あの方を想えば想うほどに辛くて、悲しくて、耐えられない」



白い頬に涙が幾筋も零れ落ちる。
は心の底からの想いを吐き出すように、畳に手をついた。



「愛されるのなら、唯一でなければ嫌なのです
 わたくしは・・・景吾様にただひとりの女として愛されたいのです」



嗚咽が小さな室の庭にまで響いた。










重い足取りでは自分の室に戻ってきた。


溜息と共に引いた襖の向こうに伸びる影。
誰もいないはずの部屋の中央に座する姿に息が止まった。



「迎えに来た」



瞬きも忘れたに向って、景吾は一言いうと腰を上げた。
はっとして首を横にふるに一歩、二歩と近付くと、真っ直ぐに視線を合わせる。
その恐れを知らない瞳に、は怯えたように視線を逸らした。



「もう乳母も良くなったそうじゃないか」
「か・・帰りませぬ」


「何故だ?理由を聞かないことには納得できねぇだろ」
「それは」



言葉にできず黙り込む、の黒髪を景吾はじっと見つめていた。



なんだろうなと思う。
答えは既に分かっているのだが、それでも不思議に思う。


妻に逃げられそうになり慌てて婚家に迎えにきた情けない夫になってまで、此処にいる理由。
今までの自分なら簡単に手を離しただろう女に、こうも執着している。


だが知ってしまったのだ。
小さな温もりが腕の中にある安らぎを。
守るべき存在が傍にある心の強さを。


花が咲くような微笑みも。
薄紅色に開く唇も。


なにより己を映す、その輝く瞳に惹かれてしまった。



執着は・・・恋であった。



、顔をあげろ」



ほらと、景吾は俯くの頬を包んで強引に上げさせた。
さっきまで泣いていた瞳は潤み、目元が赤くなっいる。
それさえが愛しくてたまらないのだから重症だ。


そっと目元をさすり、景吾は焦がれる瞳を覗きこんで口を開いた。



「俺はお前以外の女を娶らない」



の瞳が大きくなった。
何を聞いたのかも理解できず、ただ唖然と景吾を見ている。



「唯一、お前だけだ」



頬を包む景吾の指に、の涙が零れてきた。
それに唇を寄せ、彼女の涙を口にする。


コイツの全て、この涙の味も俺のものだ。


景吾様・・・と桜色の唇が僅かに動くのを視界の隅にして、ふっと笑んだ景吾。
その笑みのまま、景吾は初めての唇に己の唇を重ねた。










柔らかな風が吹き、どこからか甘い花の香りがする。
景吾はいつものごとく長い廊下を歩き、ひとつの室を目指していた。


そこで何やら楽しそうな笑い声を耳にする。



「庭で立ち聞きするんは、どうかと思うたんやけど」
「忍足殿も傍にいたのですね。ど、どうしましょう・・・」



真っ赤になったが、恥じらって頬を抑える。
黒く澄んだ瞳で上目づかいに見られては、さすがの忍足も見惚れてしまった。



「あの時の殿の顔、御方様にも見せたかったですね
 そりゃあもうデレデレして、しまりなく」


「誰がデレデレして、しまりがなかったって?ああ?」



背後から響いてきた低音に、寛いでいた忍足の背筋が伸びる。
室に顔をのぞかせた景吾の眉間には縦じわがくっきりと浮かんでいた。



「景吾様」



花のつぼみが開くように微笑んだに、つい景吾も口元を緩める。
その隙を逃すはずもなく、「それでは、また」と忍足は素早く室を辞した。



「逃げやがったな」



不機嫌に呟く景吾に、は口元を袖で隠して笑う。
その仕草も可愛らしくて、景吾は溜息をつくとの隣に腰を下ろした。



「疲れた。膝だ」



そう強請れば、はいはいとが膝を空けてくれた。
柔らかな膝に横になり、の香りを楽しみながら目を閉じる。


この頃の景吾は、暇を見つけては妻の膝枕で寝ているのだ。
直ぐに静かな寝息をたてはじめる無防備な寝顔に、は幸せをかみしめる。
愛しい仕草で景吾の髪を撫で、そして小さく呟くのだ。



「殿・・・お慕いしております」



寝ているはずの景吾の口元が、少しだけ上がった気がした。




















お慕いしております 〜跡部景吾編〜 完 

2009/08/20




















戻る     お慕いしておりますTOPへ