『お慕いしております』 〜手塚国光編〜 壱
それは突然だった。
「、お前の輿入れ先が決まったぞ」
「え?ま、誠にございますか?」
腹違いの兄、跡部家の当主である景吾が整った顔に笑みを浮かべる。
「手塚に嫁いでもらう」
その名に、は出そうになる落胆の息を飲み込んだ。
手塚国光・・・剣の腕は兄上に勝るとも劣らずの名を馳せる方だ。
それと同時に非常に気難しい方だとも聞く。
笑った顔は近しい家臣でさえ見たことがないとか、口数も少なく、なにを考えているのか全く分からないなど。
とにかく打ち解けて仲良くできそうな相手には思えなかった。
先代の側室が生んだ六女であるだ。
恵まれた嫁ぎ先を望んでいた訳ではないけれど、手塚家はちょっと・・・とは心の声。
の考えを見透かしたように景吾が笑って続けた。
「そんな顔をするな。手塚家は小さな家だが、あそこの手塚国光は見どころのある男だぞ
アイツはいつか必ず俺の肩に並ぶ男だ。だからこそ可愛い妹を嫁がせるんだぜ」
兄の言葉に思わずは顔をあげた。
天上天下唯我独尊の兄が人を褒めるのを初めて聞いた気がする。
が驚いていると、扇子を頬にあてた兄が悪戯っぽく口の端を上げて付け加えた。
「まっ・・無口な男だが、添ってみると案外いけるもんだろうよ」
隣で話を聞いていた忍足が笑いを堪えているのに気がついた。
の視線に気付くと、とうとう声をたてて笑い出す。
「姫、殿とご正室様が見本ですよ
はじめは文句ばっかり言うてましたけど、いつの間にやら大そう仲睦まじく」
そのツッコミに、ご正室との間に子が生まれたばかりの景吾は決まり悪そうに舌打ちをした。
行動力のある景吾のこと。
輿入れの話はトントン拍子に進み、息つく暇もない間に花嫁行列の輿に乗せられてしまっただ。
跡部家より格段に下の手塚家へ輿入れするのに、
相手側には嫌味になるのではないかと心配するほどの花嫁道具を持たされた。
手塚家の領地では延々と続く花嫁行列の噂話で一年ぐらいはもつだろう。
だが、が長い道のりの末に辿り着いた手塚家に、出迎えるはずの花婿がいなかった。
つまりは留守だったのだ。
聞けば領地の外れで諍いが起こったらしい。
それを治めるため、早朝から花婿は小さな兵を率いて出かけてしまって戻らない。
しかし祝言の支度は整っている。
殿のお戻りを待っていては、何時になるやも分からない。
仕方がない。ここは、とりあえず祝言だけは挙げてしまおう。
あ然としているうちに、は屏風の前に独りで座することになってしまった。
姫様があまりにおいたわしゅうございますと侍女は涙ぐむし、
手塚家の家臣たちも盛り上がろうにも盛り上がれず、祝言は誰ぞのお通夜のようになる。
長く輿に揺られた疲労と緊張、そして落胆。
泣きたいのはの方だった。
夫もいないのに敷かれた真新しい布団。
は教えられたとおりに朝方まで夫を待って座していた。
そして独りの初夜が空けたのを鳥の声で知ると、一粒の涙を零す。
自分は望まれた花嫁ではないのだと知るのには十分だった。
手塚家の家臣たちは明らかに沈み込んだ花嫁の様子に頭を痛めるが、肝心の国光が居なければどうしようもない。
人あたりの柔らかい不二や大石といった家臣が暇を見てはのもとへ伺う。
「庭をご覧になりますか?」
「城下に行かれてみますか?」
「餅など召しあがりませんか?」
皆が気を遣って誘ってみるのだが、は力なく首を横に振るばかり。
一日、二日、三日と日は過ぎていき。
祝言から十日も過ぎた頃、やっと国光は戻ってきた。
汚れた戦装束のまま、まずは留守中の様子を聞こうと室に足を向けた国光を不二と大石が留める。
「まず風呂に」
「それから着替えを」
「・・・何故だ?」
眉根を寄せた国光に問い返され、側近ふたりは溜息をつく。
「もしやお忘れではありますまい?殿は妻を娶られたのです」
「・・・ああ」
「ならばどうして早くに戻って差し上げなかったのです?
やっぱり英二と桃なんかに任せず、俺が行けば良かった。そしたら殿を先に返したのに」
「無理だよ、大石。殿は人任せにできない、融通のきかない性質だ
しかし・・・せめて文の一つでも書いて早馬で届けるぐらいの気遣いはできたはず」
幼少より共に学んだ側近ふたりは遠慮がない。
国光は諦めにも似た息を吐き、歩む向きを風呂場に変える。
その背中に目ざとい不二が視線を止め、そっと微笑んだ。
国光が常にはないものを大事そうに忍ばせていることに気付いたからだ。
ぼんやりと室から質素な庭を眺めていると、侍女が転がるように駆けてきた。
何事かと目を丸くするに、侍女は胸をおさえて息を整える。
「と・・殿がお戻りになりました。姫様、急いでお召し替えを」
ハッとして立ち上がっただったが、ふと思い直したように首を横にふる。
「姫様?」
「美しく着飾ったところで何になりましょう。国光様が喜ばれるはずもない」
「そのような・・・」
膝の力が抜けてしまったかのように座りこんだが、両手で顔を覆った。
慌てた侍女がにじり寄り、慰めるかのように背を撫でる。
その温かな手に、輿入れが決まってから後に抱え込んできていたものが溢れだした。
「添っていればと・・・兄上は仰ったけれど、添うことさえ出来ない時はどうすればいいの
きっと跡部家の要求を断れずに嫌々娶ったに違いないのです
だから祝言にも出たくなかった。私の顔など見たくもなかったのだわ」
「姫様、それは」
侍女の言葉が途中で途切れる。
きっとその通りだから慰める言葉も見つからないのだろう。
は手のうちに大粒の涙を零す。
侍女の動く気配がした。それでも無駄な着替えをさせようというのか。
「もう、嫌。跡部の家に帰りたい」
子供のように泣きながら我儘を言えば、ふたたび侍女はの背中を撫でてくれた。
大きな温もりがの背中を優しく撫でるから、もうどうしようもなく涙が出てしまう。
その時だ。
思いもよらない声色が背中から囁かれた。
「これを・・・」
低く通る硬質な声。
けれど労わるような優しい響きを感じた。
明らかに侍女とは違う声に、おそるおそる目を開く。
すると涙に歪んだ視界に、大きな手のひらに乗せられた苗があった。
何の苗やら分からないし、何故に苗なのかも分からない。
「藤の花だ」
「藤?」
声の主が教えてくれた。
「跡部の城には見事な藤が咲いていただろう?」
その人の爪には土が深く入っていた。
まさか藤を素手で根から掘り起こしたのだろうか。
「これを庭に植えようと思う。大事に育てて根付かせれば、いつかは花が咲く
その頃には・・・姫も我が城に馴染んでくれるだろう」
は頬に流れる涙を拭うことも忘れて、目の前の藤に手を伸ばした。
途中で切られた茎の先には当然のことながら花はない。
けれど、藤の花の美しさは知っている。
生まれ育った城で一番お気に入りの場所は藤の咲く庭だったのだから。
土が零れるのも厭わない小さな手に、大きな男の手が苗を移す。
そこで初めて、は傍らに膝をつく人に顔を向けた。
いつの間にか侍女は下がり、兄とは違った落ち着きと風格を備えた男がいた。
漆黒の髪に、漆黒の瞳。
月のない夜のような色を持つ切れ長の瞳は、冷たそうにも見える。
だが泣き顔の自分を見つめる人は少しだけ困ったように瞳を細め、
次には武骨な指で頬の涙を拭ってくれるのだ。
「ひとりにして・・・すまなかった」
優しい声だった。
優しい目だった。
優しい・・・人だった。
ぎこちなく引き寄せられた広い胸に、は安堵の涙を流した。
今年は質素な庭に藤の花が咲き、華やかな色を添えていた。
膝枕で眠る幼子の髪を撫でながら、いつまでもは花をめでている。
遠くから聞こえてきた足音に気がつくと、侍女がそっと席を外した。
「寝たのか」
執務の合間に顔を出したのであろう父親は僅かに落胆した様子だ。
ちょっと遊んでやろう思っていたのだろう。
顔に似合わず実は子煩悩であるのが可笑しかった。
当てが外れたようだが執務に戻る気はないらしい。
国光はの隣に座り、同じように藤を眺めた。
「昔も・・・」
唐突に国光が話し始めた。
そんなことにも慣れてしまったは、静かに口数の少ない夫の話に耳を傾ける。
「こうやって藤を見ていたな」
「え?」
首を傾げるに、思い出を手繰り寄せるように夫が遠い目をする。
「跡部の城に初めて行った時、案内された庭で見かけた」
まさか、それは。
驚きに目を見開くをよそに、夫婦となって随分とたってから種明かしをするのだ。
「藤の花のように美しい姫だと思った
今、思えば・・・一目で見初めたというのだろう」
そのように大事なことを今更。
思って、は笑ってしまった。
隣で何故か笑い始めた妻に、国光は納得できない顔だ。
『わたくしも初めてお会いした時からお慕いしておます』
そう告げたなら、夫はどんな顔をするだろうか。
は膝に眠る子を起こさないよう気をつけながら、幸せな笑みを零した。
『お慕いしております〜手塚国光編〜』
5周年感謝御礼企画より
2009/07/15
お慕いしておりますTOPへ 次へ