『あなたは景吾君のお嫁さんになるのよ』



そう・・母に言われたのは幾つの時だったろうか。


純粋に嬉しかった。
大好きな人のお嫁さんになれるのが、ただただ嬉しくて
景ちゃんに嫌われる日が来るなんて思いもせずに夢を見た。


だから彼の自由が私の夢と引き換えでしか得られない事に気づいた時、私は自分の心を少しずつ殺していった。
恋しい気持ち、温もりを求める気持ち、共に生きたいと願う気持ち。
景ちゃんに向かう気持ちはすべて彼の重荷にしかならないから。


そうして私は日本を離れた。
しがみつこうとした長い恋は終わったけれど、私にはピアノがある。
寂しくなったら、ずっと昔に景ちゃんが好きだと言ってくれた『きらきら星』を奏でる。
幼い私がたどたどしく弾いた曲を『上手だ』と笑って手を叩いてくれた。


今では難曲だって弾きこなせるようになったけれど、隣で笑ってくれる景ちゃんは居ない。
鍵盤を覗き込むようにして微笑んだ優しい彼の姿は今も私だけの宝物だ。










         君を選ぶのは俺の意思 完結編 










宍戸たちに背を押されて駆けつけた空港だったが、は旅立った後だった。
飛行機雲しか残ってない青空を睨みつけた夏。



に連絡は取ったのか?」



資料に目を通している頭の上から声がする。
顔をあげずとも分かるお節介な声には答えず、また一枚と資料をめくった。



「どうするんだよ、跡部」
「いちいち報告する義理はねぇ。ココ、鳳に言っとけ。これじゃ不十分だ」



指先で資料を弾いて顔を上げれば、不満げな表情の宍戸がいた。



「まさか飛行機に間に合わなかったってだけで諦めるつもりじゃねぇだろうな」



人の机に手をついて、自分のことのように熱くなっている宍戸に目を細めた。
コイツは根っからのお人好しだ。



「間に合わなかったのはお前のせいじゃない。気にするな」
「そ、そりゃそうかもしれないけど。もうちょっと早くお前に言えばって」


「それが運命ってもんだろ」
「運命って、じゃあもう諦めるってことなのか?」



鼻先がひっつきそうなほど詰め寄ってくる宍戸に笑ってしまった。
よほど俺たちが会えなかったことに責任を感じているらしい、見当違いの男が可笑しい。
どう考えても悪いのは宍戸じゃない。
俺の周りは自分を責めるヤツばかりで困ったものだと思う。


見終わった資料を宍戸の胸に押し付け、俺は微笑む。
お節介な友人を困らせるのも本意ではないのだから。



「俺様に『諦める』って言葉が存在すると思うか?」



斜めに見上げた宍戸は目を見開き、それから唇に笑みを浮かべると「ないだろうな」と答えた。



確かに旅立つアイツを捕まえることはできなかった。
奥歯を噛みしめて見上げた空だったが、今はそれで良かったと思う。


が我慢に我慢を重ねて決めてしまった事だ。
俺にだって覚悟と我慢が必要なんだろう。


テニス部はこの夏の全国を制した。
俺たちは引退し、新しい体制への引き継ぎも終わる。


親には昨夜のこと俺の意思を伝えた。
驚いた両親は俺によく考えるよう繰り返したが、俺は自分の意志を曲げなかった。



そうして俺はやっと日本を発つことができたんだ。


アスファルトで舗装されていない石畳で自らの靴音を聞きながら歩く。
乾燥した風は、どこか日本と違う匂いがした。


多くの人間に案内を乞い、やっと辿りついた扉の前。
防音ガラスの向こうには柔らかな陽射しに包まれてピアノを奏でる存在がある。
僅かに漏れ聞こえてくる音色に俺を耳をすませて目を閉じた。



きらきら星変奏曲か。



ふっと笑む。
懐かしい音色に俺はゆっくりと目を開いた。



風か動いたことに美しく流れていた指が止まる。
振り返る黒髪が肩から零れていくのを見ながら、俺は扉の内に足を踏み入れた。


調和のない音が響く。
が無意識に触れてしまった鍵盤の音だ。
驚きに声が出ないとは今ののことなのだろう。



「上手くなったな」



久し振りに会って、それか。
どうやら俺も平常心ではなかったらしいと苦笑する。


は信じられないとでもいうように弱々しく頭を振る。
一歩近づくたびに、の肩が竦む。しかし背後は鍵盤だから後ろにも前にも進めはしない。


俺は夢でも幻でもない。
もう、お互いに逃げるのはナシだ。



「俺は・・・」



が怯えたように俺を見た。
向けられる視線が懐かしくも愛しい。
ずっと愛情を持って見つめられてきたはずなのに、どこで俺は見誤ってしまったんだろう。


だが、もう二度と間違わない。



「俺は俺の意思でお前を選ぶ」



動揺した音が響く。
後ずさったの指が鳴らしてしまった音。



「誰かが選んだものを与えられるのは、もう充分だ
 俺は自分で選び、選ばれたかった。選ばれることに、確かな愛情が欲しかった」



愛情なんて言葉、まさか自分の口から出るようになるとは。
だが望む望まないに関わらず与えられてばかりの俺にとって、それはとても大切なものだった。



「名前や家なんかじゃなく、俺という男に抱いてくれる愛情だ
 笑っちまうような甘い考えなんだろうが、欲しかったんだ
 
 お前に・・・ただ俺という人間を好きだと思って欲しかった」



の頬に涙が零れ落ちた。
何度も泣かせた。何度も泣き顔を見てきたはずなのに、初めて見る泣き顔だ。



「人が大真面目な告白してんのに笑ってんじゃねぇぞ」



視線を逸らし呟けば、泣き笑いのが「ゴメンね」と顔をクシャクシャにした。



「私は・・ずっと景ちゃんのことが好きだったよ?」



涙を零しながらが言う。
その言葉に俺の体は勝手に動きだし、・・と名前を呼んだ時には肩を引き寄せて抱きしめていた。


無理に抱いた回数は数え切れないほどなのに、胸に抱きこんだ体の感触が違う。
優しく身に添うのは、が自分の意思で俺にすべてを委ねてくれているからだと気付いた。


ああ、愛しい奴だと心の底から思える。



「もう傷つけない。だから俺の傍にいろ」



素直に頷く頬に触れれば、追うようにの手が重なる。
見つめ合う視線にはお互いの素直な想いが溢れた。


欲しくて欲しくて堪らなかった存在。
俺は想いをこめて唇を寄せた。





卒業後の俺はの後を追ってイギリスに留学した。


が選んだ道を捻じ曲げたくないから、今度は俺が動いた。
どこに行こうと俺がやるべきことは変わらないし、の奏でる音を耳にしながら過ごす日々は望んだもの。



「景ちゃん」
「ああ」



柔らかなクリーム色のドレスに身を包んだの手を取ると僅かに震えている。
なにを今さら緊張しているのかと笑いを含めば、が少しだけ頬をふくらませた。
素直に見せる子供のような仕草も可愛いのだが言葉にはしない。
単に照れくさくて慣れないからだ。



「堂々としてろよ。お前は俺の婚約者なんだから」
「そうだけど・・・」


「お前は笑ってりゃいいんだ」



本気のアドバイスだったのだが、余計にの機嫌を悪くしてしまった。
笑ってる顔が好きなのだとパーティーの合間に囁いてやれば、どうなるだろうか。


甘ったるい企てを胸に俺は一歩を踏み出す。
俺が選んだ愛する君と共に。




















君を選ぶのは俺の意思 完結 

2009/12/27

長く続編を希望して下さった方々に捧げます




















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